2007/04/21

酒ヲノモウカ

 連日、神保町に通い続ける。一昨日は、仕事の前にダイバーの「ふるぽん秘境めぐり」をのぞく。店主にあいさつすると、わたしの名前から坊主頭の大男をイメージしていたといわれる。仕事のあと、吉祥寺の「百年」という古本屋に行き、『現代詩手帖』(一九七九年五月号)の「特集ライト・ヴァース」を買う。
 ライト・ヴァースには、いろいろ定義があることを知る。理屈っぽくて読んでいていやになる。
 それからまんだらでペリカンオーバードライブのライブを見る。お互い家を行き来して夜から昼にかけて酒を飲んでいたこのバンドのギタリストが亡くなって二年ちょっとになる。四人組のバンドが三人組になって、しばらくのあいだはいないはずのギターの音が頭の中でずっと流れていたのだが、すっかり三人組の軽快な音になっていた。どんどんすごくなっている。
 いっしょに出演していたバンドはヘタすると二十歳くらい若い。四十代でロックンロールを続けるのはすごいことである。
 ライブのあと閉店まぎわのバサラブックスに寄り、三木卓の『日々のたわむれ』(福武書店)を買って、そのあと福井さんといっしょに古本酒場コクテイルに飲みに行く。酔っ払う。

 昨日、書肆アクセスで畠中さんに取り寄せてもらっていた近代ナリコさんの新刊『どこか遠くへ ここではないどこかへ 私のセンチメンタル・ジャーニー』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を受け取る。旅の本だけど、ただの旅の本ではない。数ページごとにはっとする言葉が出てくる。
 
 仕事場で読んでいたら、まっすぐ家に帰りたくない気分になり、早稲田で途中下車する。午後七時前に古書現世をおとずれると、やはりというかなんというか飲み会があるというので参加させてもらう。酒が飲みたくなると、閉店まぎわの古本屋に行くというのは、どうかとおもうが、いいのである。

 それにしてもみんな酔うのが早い。一まわり以上若い書店員さんとアナキズムの話で盛りあがる。自分が二十四歳のときはどんなかんじだったのかなあ。学生時代から知りあいのなつかしい顔にもひさしぶりに再会する。
「変わってないねえ」
 そうかね。
 しばらく飲んでいると、古書現世の向井さんから、紙袋にはいった本を渡される。
 辻征夫詩集『いまは吟遊詩人』(思潮社)の「黒田三郎様」あての署名本だ。向井さんはまもなく出る予定のわたしの本の出版記念にこの本をプレゼントしてくれた。辻征夫は少年時代から大酒飲みの詩人、黒田三郎が好きだった。もちろん、わたしはこのふたりの大ファンである。
 すごくうれしい。家宝にしたい。

《酒ヲノモウカ……
 ハア……
 で のみはじめる
 私はいつものように静かにのむ
 しらふで酒のむのにさわぐなんて
 私のしようにあわない
 一杯のむ すると
 二杯目はもうしらふじやないわけだ理論的には
 どこかで 新宿ブルースがきこえていた
 それから あとはおぼろ……》
      (「ある訪問から」抜粋/『今は吟遊詩人』)

 辻征夫著『ゴーシュの肖像』(書肆山田)に、「将棋」という題のエッセイがあって、そこにはこんなことが書いてある。

《将棋を始めたのは、三十歳を過ぎてから。二十代のときの詩をまとめて『いまは吟遊詩人』を出したら、何もすることがなくなってしまったような気持ちになって、そんなときふとしたきっかけで百科事典の「将棋」を引いてみたのが最初です。ノートを取ってそれを見ながら指しました。
 将棋の本も、並べれば二メートルくらい読んだけれど、理論的なところはいつもさーっと読みとばして、棋士たちのエピソードとかその他のところばかり読んだみたいです。彼ら、時代小説に出てくる剣客、それから詩人みたいなところもあってとても好きです》

 わたしも将棋の本は、そういう読み方しかしていない。羽生善治さんをはじめ、同世代のプロの棋士の考え方、将棋に打ち込む姿勢にはすごく刺激を受けている。
 齢をとる。体力や記憶力がおとろえる。それをどうやっておぎなうか。
 彼らはいつもわたしよりすこし早く、そしてかなり深く、そういうことをかんがえている。

 ここのところわたしも「何もすることがなくなってしまったような気持ち」になっているのだが、そういうこともあるよなあ、と今は楽観している。時間がたってみないとわからないことはいろいろある。
 自分がどこに向かっているのかわからない。いっぽうでは安易な目標をもちたくないというおもいもある。しばらくはなりゆきにまかせてみたい。おもいどおりにならないことやおもいがけないことをいろいろ味わってみたい。
 
《なあ おれたち
 こうしてうろついてばかりいて
 きつとこのままとしとるな
 二十代の次には 三十代がくる
 その次は たぶん 四十代だな》
    ( 「きみがむこうから…」抜粋/『今は吟遊詩人』 )

 二十代のころは、このままとしをとるのかとよくおもっていたが、おもいどおりにとしはとれない。
 いっしょに酒を飲んでいた友人がいなくなってしまうこともある。

 今日は酒を飲まないつもりだったが、やっぱり飲んでしまった。