2008/01/16

人生計算家

 この三日くらい、寝てばかりいた。一日十四、五時間、布団の中だ。ほぼ日中寝ている。病人みたいである。病気かもしれない。厳密にいうと、気温が急に下って、からだが動かなくなっていた。からだだけでなく、頭もまわらない。逆に酒はすぐまわる。水割二、三杯で意識が散漫かつ朦朧となる。
 近ごろ、新しいことをはじめようとしても、その手前の手前のくらいの段階のやる気すら出ない。
 無私の情熱。仕事を忘れて、古本屋をかけまわり、手当りしだいに本を買い、読みたい本をひたすら読み続ける生活を送りたいのはやまやまだが、そうもいかない。いろいろと人生における優先順位を考え、その順位の計算自体が年々複雑になり、考えることが面倒くさくなって、現実逃避している。
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 中村光夫は「騎士道精神」のことをドン・キホーテのような無償の愚行だと述べている。芸術もまたそういうものにちがいない。
 無償の愚行に走れないのは、生活の心配だけでなく、おそらく芸術のために犠牲をはらう覚悟がないからだろう。

 学生時代、中村光夫はプロレタリア小説のようなものを書いていたが、文壇には批評家としてデビューし、後に小説、戯曲も書くようになった。
 そしてスタンダールとはすこしちがった意味で「人生計算家」だった。
 毎朝、冷水摩擦をし、衰える体力をすこしでも維持しようと、朝食前に一日百回ずつ縄跳びをしていた。

《精神的な労働にたえる年齢が、肉体的な寿命にくらべてわずかしか伸びない以上、多くの人びとが未完成のまま芸術的な生涯を終わるのが現代の特色です。このような時代に処して、何か仕事らしい仕事を残すには、まず精神の長寿が条件です。
 歳をとってから本式の仕事ととりくむ必要と要求は、昔のように少数の天才だけのことではなく、一般に芸術家、あるいは人間一般の課題といえましょう。如何にして老年を若く保つか。精神の機能を肉体同様延長するか。これが誰にも切実な要求、あるいは必要になってきていると思います》(「私の健康法」/『秋の断想』筑摩書房、一九七七年刊)

 中村光夫は六十歳を越えてからジョギングをはじめた。毎日二十分か三十分くらい走っていたそうだ。
 まったく見習おうという気にならん。