十六日、神保町の三省堂書店で新刊本を何冊か買い、支払いのとき、マフラーを忘れた。毎年のようにマフラー、帽子、手袋をなくす。
あわててアルバイト先から電話すると「あります」というので、仕事帰りに取りに行く。
神田伯剌西爾でコーヒーを飲んで、ダイバーのふるぽん市、そのあとJRの水道橋駅までふだん行かない白山通りの古本屋をのぞきながら歩く。その間、十冊以上本を買う。マフラーの値段の倍くらいの金額になった。
加藤一郎著『文壇資料 戦後・有楽町界隈』(講談社)も買った。ちょこちょこ「文壇資料」シリーズを集めているのだが、なかなか揃わない。
この本の「第十章 作家も生活を」に山本健吉の「高見順 十二の肖像画」という一文がある。
《氏(高見順)が論敵に投げつける言葉の一つに「父つちやん小僧」といふのがある。氏が文壇に華々しく出たばかりのころ、同じく新進批評家として登場した中村光夫氏の批評態度を、「父つちやん小僧振り」とからかつたことがあるのだ。いや、からかつたといふのは当つてゐない。真底から忌々しい若造だといつた調子があつた》
高見順は、中村光夫の高校、大学の先輩である。『今はむかし』では「氏は、僕ら後輩にも、ひどく気さくな態度で、いろいろ話してくれ、またそれが面白いので、僕らはみな聞き役にまわってしまいました」と回想している。いち早く文壇にデビューした高見順は中村光夫にとって憧れの存在だった。
わたしは、中村光夫のことを分別のある、バランスのとれた批評家という印象があったので、かつて高見順に「父つちやん小僧」などと罵倒されていたのはちょっと意外におもえた。
とはいえ、山本健吉は前掲の文章に続けて「かう言ふと高見氏には失礼だが、高見氏こそもつとも「父つちやん小僧」的なのではあるまいか」とも書いている。
高見順の『昭和文学盛衰史』(文春文庫)には、中村光夫の『風俗小説論』にふれた箇所がある。
若き日の高見順は横光利一の文学には魅力をかんじていたが、その「ポーズ」には反撥をおぼえていた。
この場合の「ポーズ」は「文士臭さ」というようなニュアンスが含まれている。
《昨年だったか、一昨年だったか、中村光夫の『風俗小説論』を読んで、文中「俗物」の用語のあるのを見て、思わず懐旧の情におそわれた。ポーズとともにこの「俗物」も今は失われた、懐かしい文壇用語である。
「お前は俗物だ」
と言われることほど、私たちにとって致命的な礫は無かった。その礫の乱発が、日本の小説と小説家を、私小説と私小説作家に追いこんだうらみはあるけれど、俗物精神に昂然と対峙していた往年の文学精神を思うと、胸をかきむしられるようなノスタルジアを覚えるのである》
*
昨晩は寒かった。東京は初雪がふった。
夜十時すぎに古本酒場コクテイルに飲み行くと、中村光夫が先生をしていたころの学生だったという編集者がいた。三十五、六年前の話だ。いつか中村光夫の授業を受けていた人に会って話を聞きたいとおもっていたのでうれしかった。
「髪がきちっとしていて、なんだかスポーツマンみたいな人でしたよ」
当時の明治大学の文学部では中村光夫だけでなく、平野謙や山本健吉も教えていた。そのすこし前には、小林秀雄も講師(教授だったのか)だった。
この日は、芥川賞・直木賞の発表の日で、コクテイルでトークショーをしたこともある山崎ナオコーラさんが芥川賞、井上荒野さんが直木賞の候補になっていたので、おのずとその話題になる。
結果は芥川賞は川上未映子、直木賞は桜庭一樹。
水割四杯飲んで、店を出て数歩歩いたところで、前田青年と遭遇する。また飲み直すことに。
日付変わって十七日。
二日酔い。仕事帰り、高円寺で下車せず、吉祥寺の行く。
すこし前に、吉祥寺のバサラブックスの福井さんにハロゲンヒーター(新品同様)をもらったので、そのお礼をいうため。長谷川四郎の『よく似た人』(筑摩書房、一九七七年)を買う。
『みんなの古本500冊』(恵文社)が平積になっていた。都内在住でまだお持ちでない人は、バサラさんでぜひ。