池袋往来座の「外市」も無事終了。初日は仕事が終わってから、夜七時すぎに行く。往来座の店内で中村光夫の『青春と女性』(レグルス文庫、一九七五年刊)があった。
収録されている文章は、他の本で読んだものばかりだったが、うれしい収穫。この本でも『胡麻と百合』のラスキンの話がよく出てくるのだが、ラスキンの本を読んだことはない。
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昼から高円寺南口の古本屋巡回ルートをまわる。ラスキンの『胡麻と百合』を探すために都丸書店の岩波文庫の棚を見ていたら、突然、ソーローの『森の生活』(神吉三郎訳、岩波文庫)が読みたくなったので買う。そのあともふらふら古本屋をまわっていたら、大石書店で正津勉の『小説 尾形亀之助』(河出書房新社)が早くも棚に並んでいた。これ、小説なのかなあ。
正津勉は『笑いかわせみ』(河出書房新社、二〇〇一年刊)という鮎川信夫や北村太郎のことを描いた小説も書いている。この本とねじめ正一の『荒地の恋』(文藝春秋)を併読した人は多いかもしれない。
『荒地の恋』は、北村太郎の『センチメンタル・ジャーニー ある詩人の生涯』(草思社、一九九三年刊)でぼかしていた「恋愛事件」のところが描かれている。ちなみに『センチメンタル・ジャーニー』の後半は、正津勉の聞き書きである。
『センチメンタル・ジャーニー』の最後のほうで、鮎川信夫が結婚していたことを知らなかった北村太郎は、「ぼくもおかしいけど、鮎川もやはりおかしいんじゃないかなっていう気がした」と述べている。
また「荒地」に関しては、次のような記述があった。
《晩年の鮎川は吉本隆明との対談で『荒地』にはひとりとしてろくなのがいないといっている。それは、少なくともぼくにはよく分かる。ようするに、ちっとも現実というものを見ないで昔書いた詩をなぞって書いている。目をあけて世の中を見ろ、そして世の中にもう少し反抗してもいいと。詩人というのは常に革新的でなければならない。そういう面で頼りにならない連中だという感想をもっていたと思う。自分のことを考えれば、それもよく分かる》
今は鮎川信夫より北村太郎の詩のほうが読まれているような気がする。
それにしても加島祥造がベストセラー作家になる日がくることのほうが予想外だ。
さて、夜七時。こんどは高円寺の北口の巡回コース。古書十五時の犬が中通り商店街からあずま通りに引っ越してきたので、中野よりのあずま通り界隈には、中央書籍販売、ZQ、越後屋書店、さらに古本酒場コクテイル(今日は休みだったが……)などが並ぶようになった。ほかにもこの通りは中古レコード店も充実している。
古書十五時の犬は、中通りのころと比べて、店舗が広くなって本も増えた。値段もお手頃だ。バラで集めている『ユーモア・スケッチ傑作展』(早川書房)の三巻が五百円。さらにちょこまかとあれこれ買ってしまった。
ラスキンを探すため、カバーのない岩波文庫の背表紙を凝視しすぎて、目が疲れてくる。
これから庚申通りの高円寺文庫センターに寄りつつ、琥珀でコーヒーを飲もうかとおもう。