2008/04/28

GWも、外行く?

GWも「外、行く?」 〜街かどの古本縁日〜

第8回 古書往来座外市 〜口笛は、わめぞに響く〜
■日時 2008年5月3日(土)〜4日(日) 
3日⇒11:00〜20:00(往来座も同様)
4日⇒11:00〜17:00(往来座も同様)

■雨天決行(一部店内に移動します)
■会場 古書往来座 外スペース(池袋ジュンク堂から徒歩4分)
東京都豊島区南池袋3丁目8-1ニックハイム南池袋1階
(http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/)
               *
 先日、年に一度か二度のスーツを着て神保町に行く。夜はパーティー。昼間、古書街をぶらっとまわり、最近あまり見ない角川新書、近代生活社の本を何冊か買う(仕入のようだ。というか仕入だ)。
 昔の新書は、カバーが破れやすいので、そこそこ状態のいいものを見つけると嬉しくなる。
 三省堂書店の前で、一服していると、古書桃李さんとバッタリ。
「どうしたんですか? スーツ姿で」
「いや、その、まあ……」

 夜、池袋往来座の「外市」用の本にパラフィンがけをする。
 値付も、だんだん早くなった。迷わなくなった。
 今回の「外市」には、「古書文箱」のU君も参加します。たぶん、「外市」参加者では最年少でしょう。

 U君は、もともと高円寺の古本酒場コクテイルに来ていた元渋谷のブックファーストの書店員で、昨年、福岡に移住し、今年再び上京。ブックオカの一箱古本市ではかなりの売り上げを記録していた。
 わめぞ絵姫、打倒なるか。

2008/04/23

十年前 その八

 自分の守り方という話の続きを書こうとしてみたが、なかなか考えがまとまらない。
 だから、ひとまず自分の何を守りたかったかということを考えてみる。
 わたしは文章を書く時間と本を読む時間と酒を飲む時間と寝る時間を守りたかった。
 あと曖昧なこといえば、自分の感覚を守りたいという気持もあった。

 そんなことをいうと、「自分の感覚ってなんだよ」と絡んでくる人がいる。簡単に説明できるのであれば苦労しない。
 二十代のころは言葉でなにかを伝えるという仕事をしていたにもかかわらず、自分のおもいが通じないことがよくあった(もちろん今でもあるよ)。
 たぶん、自分の立場をわかっていなかったのだ。
 はたから見れば、ロクに仕事もせず、怠けてばかりいる人間だとおもわれてもしかたのない状態だった。それでも自分を過大評価し、いいたいことをいっていた。
 ようするに、「何もやっていないくせに、エラそうなこというな」とおもわれていたわけだ。
 簡単にいうと、見下されていたわけだ。
 立場が弱いと、どんなに筋の通ったことをいっても、相手が否定しようとおもえば、いくらでも否定できてしまう。
 そうやって否定されると「何をいっても無駄だ」という気分になる。

 自分を守るというのは、自分の殼にとじこもるわけではない。「何をいっても無駄だ」とおもう人たち(こちらを見下したり、バカにしたりする人)を察知して、なるべく距離をとることでもある。
 自分の立場を無視して、いいたいことをいっても、なかなかその言葉を受けとめてもらえない。
 いえばいうほど、弱い立場のまま、固定してしまいかねない(「こいつは自分の立場がわかっていない」とナメられる)。
 自分の力を伸ばしたいとおもっていても、まわりから否定され続けると、どんどん萎縮してしまう。
 それで「どうせわかってもらえない」とおもうようになる。

 そういうときに自分を理解してくれる人がいるとほんとうに助かる。
 しかし理解者を見つけるためには、自分もその人の理解者になる必要がある。「どうせわかってもらえない」とおもっていると、自分のことをわかろうとしてくれる人も拒絶してしまうことになるからだ。

 たぶん二十代後半の自分が行き詰まってしまったのは、そのせいかもしれないと今はおもっている。

2008/04/21

十年前 その七

 二十代後半、勤め人になった友人たちは忙しくなったり、結婚したりして疎遠になる。
 たとえば、バンドマンの場合だと、二十代前半のころより、演奏がうまくなり、曲もよくなっているにもかかわらず、ライブの客が減るという現象が起きる。同世代の客が、諸般の事情により、だんだんライブハウスから遠ざかってしまうからだ。
 フリーライターの場合は、そういうことはないが、「何でもやります」という元気で素直な新人がどんどん入ってくる。これまで若いという理由だけで頼まれていた仕事が確実に減る。
 いっぽう安定収入を見込めるレギュラーの仕事は、なかなか席が空かない。
 そりゃそうだ。みんな生活がかかっているのだ。

 中堅のライターがレギュラーの仕事をキープし、これまでやってきた誰にでもできるような仕事は、若手に奪われる。
 そして二十代後半のライターは、あまり年輩の書き手がいない分野、すき間産業に走る。
 それより多いのは、転職だ。
 あと田舎に帰る。これも多い。

 転職もできず、田舎にも帰れない人間だけが残る。ほかに行き場がないから、続けるしかない。とりあえず、東京にいれば、アルバイト先には困らない。年齢制限があるから、選択肢はすくなくなるけど、仕事さえ選ばなければ、なんとか食っていける。
 わたしも収入の大半はアルバイトだった。将来に不安がなかったといえば、ウソになるが、なるべく考えないようにしていた。この時期さえのりきれば、どうにかなるだろうとひたすら質素倹約に励んだ。

 当然、そういう生活を送っていると「才能がないよ」とか「向いてないよ」とかいわれることもいる。「食えなきゃ意味がないだろ」といわれたこともあった。
 でも古本屋に行けなくて、本を読むひまがなくて、酒が飲めないくらい働くことのほうが意味がないとおもっていた。ひまだから、意味なんか見つけようとおもえば、いくらでも見つかるわけだ。
 この自信のない中途半端な時期に自分をどう守るか。

……面倒くさい話になりそうなので続きはまた。

2008/04/18

書けば書くほど

 昨日、雨の中、仕事で大手町の丸善、神保町の東京堂、三省堂、グランデ、新宿の紀伊国屋書店をまわる。神保町で、扉野さんの『ボマルツォのどんぐり』(晶文社)が面出しで並んでいる書店があった。
 禁酒中(といっても、本日解禁の予定)だから、なかなか眠れない。

 それにしても[書評]のメルマガ(vol.357)の[鶴亀とボマルツォと号]は、ものすごい密度だった。

 樽本周馬さんの短期集中連載「『文学鶴亀』ができるまで」、堀内恭さんの「入谷コピー文庫 しみじみ通信」、内澤旬子さんの「もっと知りたい異文化の本」、「林哲夫が選ぶこの一冊」、そして扉野良人さんの「全著快読 梅崎春生を読む」の最終回……。

 わたしが「全著快読 古山高麗雄を読む」を連載していたころは、ずっと坂道をのぼりつづけているような気分だった。書けば書くほど書くことがなくなる。今でも「鍛えられたなあ」とおもう。

 次の「全著快読」は「1980年代生まれ」らしいですよ。

2008/04/16

酒抜き中

 自転車を買って一ヶ月。けっこう乗っている。夕方、古本屋をまわったり、買物したりしながら、一時間くらい商店街をぐるぐるまわる。隣の中野、阿佐ケ谷まで行くこともある。
 人通りの多い道、車の多い道を避け、散歩のときにはあまりとおらなかった道を走る。自分の行動範囲がすこし変わる。地味だけど、楽しい変化だ。

 原稿料がわりにもらった図書カードがすこし残っていたので、中野のあおい書店で、鮎川信夫他著『現代詩との出合い わが名詩選』と田村隆一著『自伝からはじまる70章』(いずれも詩の森文庫)を買う。
 詩の森文庫は、読みたい本がたくさんあるのだが、すぐには書店からなくならないだろうとおもい、つい買い控えてしまう。
 中野のあおい書店は、詩のコーナーが一階にあり、のんびり立ち読みができるのがうれしい。
 帰りに奥の扉でアイスコーヒーを飲む。

 仕事、仕事と気ばかり焦りながら、詩の本を読んでいる。短い文章ばかり書いてきたから、十枚以上の原稿となると、途中で息切れする。早くて三日はかかる。
 飲んで寝てばかりいるのに、時間がほしいとおもう。酒を飲むから時間がなくなるんだな。重々承知である。でも飲まないと頭の切り替えがうまくいかない。酔って寝て起きて机に向かう。そういう習慣が身についてしまった。
 というわけで、現在、酒抜き中。金曜日まで飲まないつもりだ。

 それにしても田村隆一を読みながらの断酒はつらい。

2008/04/13

ボマルツォのどんぐり

 あるルートを通じて、ひと足先に扉野良人さんの初単行本『ボマルツォのどんぐり』(晶文社)の表紙と目次と初出一覧を見る。
 たぶん、いちばん古い原稿は、一九九四年十一月の『虚無思想研究』に発表した「辻潤と浅草」。二十三歳のときのエッセイである。

 前にも書いたかもしれないが、『思想の科学』の編集者だったN島さんに、「辻潤が好きな学生がいるんだよ」と紹介してもらったのが、扉野さんと知り合うきっかけだった。高円寺の「テル」で飲んだ。

 今回の本の話がはじまったころ、たまたま『虚無思想研究』のバックナンバーを読んでいたら、当時、扉野さんが本名で書いた「辻潤と浅草」を見つけ、「辻潤と浅草」を収録するよう催促した気がする。今、読んでも二十三歳とはおもえない文章だ。

 一冊の本の中に、十四年の歳月が流れている。大学卒業後、京都に帰って、お坊さんをやりながら、ずっと手間暇かけた文章を書き続けてきた。
 発表の場所のほとんどは同人誌だ。
 よかったなあ、とおもう。それにしても、内容が渋すぎるのではないか、ともおもう。

 目次をみると、いきなり永田助太郎、寺島珠雄、辻潤という名前が並んでいる。後半の作家の生地をめぐる紀行エッセイには、田中小実昌、田畑修一郎、加能作次郎、川崎長太郎の名前が出てくる。
 あと『sumus』創刊号の「ぼくは背広で旅をしない」は、素の扉野さんがよく出ている文章かもしれない。
 タイトルの「ボマルツォのどんぐり」の意味は、秘密にしておこう。

《旅するエッセイストは、
 ボマルツォに向かう。
 そこでどんぐりを拾う》

 帯にはそう書いてあった。
 もうすぐ書店に並びます。

2008/04/11

マエストロ 完結

 夜中、さそうあきらの『マエストロ』三巻(双葉社)を読んだ。
『漫画アクション』の連載が中断し、web連載していた作品だ。交響楽団が解散して、音楽や生活に行き詰まっていた音楽家たちが、ひとりの指揮者によって変わっていく。絵の中に、自分の想像をこえた理想の音がある。

 読み終えたあと、今の自分には、かんじとるのことのできない理想について考えてしまった。「近づく」とか「たどりつく」とかではなく、ずっと先にある理想は、考えていても見えてこないような気がする。

 『マエストロ』に出てくる「天才」といわれるような指揮者は、一歩間違えば、人格および生活破綻者になりかねない、そんなギリギリのところで音楽に打ち込んでいる。

2008/04/10

十年前 その六

 昔のことを書いているせいか、ここのところ、しばらく連絡のとだえていた友人から、電話やメールをもらうことが増えた。

 十年前、「リンゴ問題」を語り合っていた友人ともひさしぶりに話をし、「あのリンゴ問題は、もともとアンドリュー問題だったんじゃないか」と指摘された。
 そうだった、そうだった。アンドリュー・リッジリーだ。Wham!(ワム)のジョージ・マイケルの相方だ。
 まあ、よくある酒の席での雑談なのだが、アンドリューのことをいろいろ議論してゆくうちに、どうすれば、実力以上の人気や知名度を獲得することができるのかという話になり、リンゴ・スター、トキワ荘、中央線文士、第三の新人、「荒地」の詩人などの話に発展した。

 才能が集まる「時」や「場」がある。
 われわれの世代は、将棋や漫画やゲームの世界に才能ある人が流れ、活字にはあまりいかなかったのではないか。
 学生時代は、バンドブームと重なっている。才能のある人たちは、ライターや編集者にならず、音楽に向かったのではないか。
 そんな話もした。

 プロ野球でいえば、全国のエースで四番だったような人たちのよりすぐりが、プロになったりするわけだが、自分の周囲のライターを見渡すと、社会人の予選があれば、コールド負けするような連中ばっかりだ。朝起きれんわ、電話は止まるわ、挨拶できんわ、時間守れんわ、以下略。

 いや、それだけではない。
 編集者に優等生タイプが増えたのだ。
 出版業が人気職業になると、優秀な人たちが集まる。そういう編集者と我々との相性がよくない。よくないというより、優等生タイプの編集者は、無名ライターを起用しようとせず、名前の売れている、リスクのない書き手を好む。
 一か八かのおもしろい企画を通すよりも、過去の成功パターンを望む。成功パターンといえば、聞こえが、二番煎じが大好きだということだ。
 だから雑誌がラーメン特集ばかりになる。「なんとかの品格」みたいな本をたくさん出る。
 原稿に関しても、賛否両論のあるようなものより、つまらなくてもいいから「否」のないものをよしとする。
 一九九〇年代の半ばくらいから、そういう編集者が増えたような気がする。
 とくに大手の出版社には、アポイントなしでは出版社に入れなくなった。以前は、素性の知れない、あやしい人間が出入りしていた。
 夜七時くらいになると、わたしも「弁当目当て」で、某出版社のライター室にしょっちゅう遊びにいっていた。わたしはそうやって仕事にありついていた。
 
 貧乏ライターの愚痴みたいな話になってきた。
 もうすこし愚痴をこぼしたい。
 ある雑誌の編集者に「企画を三十本くらい出してくれ」と頼まれ、企画書をもっていくと、「こういう企画は、司馬遼太郎くらい偉くなってから出せ」といわれたことがあった。
 そんなことをいわれたら、何もいえない。「その後、別のライターがわたし企画とそっくりの原稿をその雑誌で書いていた。「シビアやのう」とため息を出た。
 週刊誌の記者に「最近、何かおもしろいことない?」ときかれ、自分のあたためていた企画を売りこもうと熱心に話す。「いいねえ」「おもしろいじゃないか」というから、てっきり仕事をまわしてくれるのかとおもったら、その人が自分で記事にする。
 長くフリーライターをしていれば、そういうことはよくある。
 おかげで、ずいぶん用心深くなった。

 勤め人の知人の上司にたいする愚痴なんかも、似たような話は多い。「結果を出せ」というばっかりで、チャンスを与えてくれない。
 いわれたとおりやっても、ちっとも結果は出ない。結果が出ないから、自分の企画も通らない。
 どうすればいいんだ、という話だ。

 十年前、わたしはある決断をした。
 自分の書いたものを読んで、ぜひ仕事を頼みたいとおもってくれた人以外とは仕事をしない。
 当時は独身で風呂なしアパートに住んでいたから、原稿の依頼がなければ、アルバイトで食いつなげばいいと考えていた。
 ほんとうに仕事がなくなるとは予想外だっだ。当然の結果なのだが。

 それですこしだけ考え方をあらためることになる。

(………まだ続くのか?)

2008/04/08

十年前 その五

 十年前に、友人(河田拓也さん)のホームページに間借りする形で「文壇高円寺」という連載をはじめた。
 無署名の原稿をいくら書いても次の仕事につながらない。つながることもあるのかもしれないが、わたしの場合、つながらなかった。(若手の)無名のフリーライターの場合、いろいろな人に断わられて、頼める人がいなくなってから、ようやく原稿の依頼がくる。そうした仕事は、連休前、お盆、正月あたりに集中する。「明日までにおねがいします」といわれて、明日までに書く。「助かりました」といわれるが、それっきりだ。何の準備もなく、何の取材もせず、無理やり一日で書いた原稿だから、出来は悪い。徹夜で書いた原稿を渡したあと、原稿料を値切られたこともあった。

 こんなかんじで仕事続けていても、この先はないんじゃないかとおもうようになった。いくらお金がもらえても書くことがいやになったら、元も子もない。でも仕事を断わるのは怖い。一度仕事を断わった編集者から、原稿を依頼されたことはほとんどない。
 自分の代りはいくらでもいる。それがいやなら、代りがいないような書き手になるしかない。自分がそういう書き手であれば、こんな苦労はしていない。
 この先、三十代になったら、若い人向けの仕事がだんだんまわってこなくなる。
 バブルのころ生まれた雑誌やPR誌も一九九〇年代半ばくらいから次々と廃刊になっていた。わたしは一九八九年にフリーライターの仕事をはじめた。「自意識」みたいなものが「かっこわるい」とおもわれていた時期に、マスコミの世界にはいって、ずっとなんかヘンだなとおもっていた。PR誌の同じ号に、四本も五本も原稿を書いていたので、やむをえず、文体や性格、ペンネームも変えて、原稿を書いていた。でも自分の言葉が読者に届いているかんじがしなかった。

 自分の拠点がいる、とおもった。「わたしはこういうことをしています。こういうものを書きたいとおもっています」という看板を作らないと、消耗品(使い捨てライター)になってしまう。とにかく看板だけ出しておいて、あとはアルバイトで食いつなごう。そのころ「三十歳まで続ければ、どうにかなる」といわれていた。この言葉には、その年齢まで続けられる人はほとんどいないという意味もある。

 十年前の秋、岡崎武志さんの最初の単行本の『文庫本雑学ノート』(ダイヤモンド社)が出た。岡崎さんは以前から、高円寺の行きつけの飲み屋が同じだった。おばあさんがやっている、カウンターだけの小さな店だった。
 岡崎さんは、編集者やライターの仕事をしながら、同人誌(『ARE』)などに関わり、「好きなこと」をちゃんと形にしていた。そういう人が、たまたま、身近にいたというのは、幸運だったとしかいいようがない。

 たしかそのころ、岡崎さんと某出版社の「中央線のムック本」制作の仕事をいっしょにした。何ヶ月にもわたって打ち合わせと取材を重ねたこの仕事は、いつの間にか立ち消えになり、幻のムックとなった。わたしは、戦前、高円寺に住んでいた三重の宇治山田生まれの詩人、竹内浩三の原稿や阿佐ケ谷将棋会の原稿などを書いたが、原稿料はもらえなかったとおもう。
……こんな仕事をしていたことは、すっかり忘れていた。

 その後、岡崎さんから『sumus』にさそわれることになったのだから、何が幸いするかわからない。

2008/04/06

十年前 その四

 目白からバスで、月の湯へ。TBSラジオが取材に来ていて、レポーターのラッキィ池田さんがいる。学生時代、パール兄弟のイベントのアルバイトをやっていたときに、ラッキィ(当時は「ラッキー池田」)さんも出演していて、ちょっとだけ喋ったこともある。……ということをすっかり忘れていた。丁寧ないい人です。

 それにしても大盛況だ。開場前、道まで行列ができていたそうだ。銭湯での古本市に合わせて、山下清のパンフレットを出したら売れていた。売りたいとおもった本が売れると嬉しい。

 冗談みたいにはじまった「わめぞ」(早稲田・目白・雑司が谷)がこんなことになるとは、ちょっと前までは考えられなかった。
 ひとりだったら、ああしたい、こうしたいといろいろ考えても、なかなか形にならないけど、人が集まることによって、化学反応のようなものが生じ、いろいろなおもいつきが次々と実現してゆく過程はほんとうにおもしろい。
                 *
 極端な話、場所さえ作ってしまえば、中身は後からついてくるようなところがある。
 二十代後半のわたしはひとりで自分の好きなことばかりやっているうちに行き詰まっていた。
 わたしには場所を作るという発想がなかった。なるべく他人に影響されたくないともおもっていた。誰が見てもすごいとおもうくらいわかりやすい才能があれば、どこで何をやっていようが、どんどん成長していけるのかもしれない。でもすくなくとも自分はそうじゃない。そうじゃないから、風呂なしアパートでくすぶりつづけていたわけだ。

 いろいろなタイプの人の中にいて、自分の適性が見えてくるようなところがある。どんな場所に、身を置くか。そういうことが、人生を大きく左右する。
 十年くらい前、近所の公園で昼間から酒を飲んでいたとき、よく友人と「リンゴ問題」について語り合った。
 つまり、リンゴ・スターがビートルズじゃなくて、どこかの地味な無名のバンドでドラムを叩いていたら、極東の島国に住むわれわれがその名前を知ることはあったのだろうか、という問題だ。
 このテーマは「トキワ荘 赤塚不二夫問題」にもいえる。まあ、石森章太郎だったら、トキワ荘に住んでいなくても、才能が開花したような気もするが、赤塚不二夫がトキワ荘に住まずに、田舎でこつこつ漫画を描き続けていたら、その後、数々のヒット作を世に出すことはなかったのではないか。
 ビートルズやトキワ荘みたいな話でなくても、しっかり者といわれるような人といっしょに仕事をすれば、どうしてもその人に甘えてしまうし、逆にだらしない人といっしょに仕事をすると、しっかりしなきゃとおもうようになる。人間関係にもまれているうちに、自分の得意不得意のようなものがわかってくる。
 当然、場に恵まれないと、自分の苦手なことばかりやらなきゃいけなくなる。
 勤め人にかぎらず、フリーの仕事でもそういうことがよくある。ヘタに能力があると、自分の不得意な分野でもがんばれてしまう。
 自分の不得手なことを補ってくれるような人と組むと、自分の力以上のようなものが出ることもある。

 十年前、わたしは失業状態だったのだが、「好きなことを書いてよ」とさそわれ、友人の作っていたホームページに間借りする形で「文壇高円寺」という連載をはじめた。
 そういう場がなかったら、わたしは何も書かなかったとおもう。
 しめきりもなく、字数の制約もない友人のホームページにエッセイを連載して「自分はこれがやりたかったんだ」ということに気づいた。

2008/04/04

月の湯古本まつり

 夕方、池袋の古書往来座に「月の湯古本まつり」に出品する古本を持っていく。目白駅から往来座までずっとゆるやかな下り坂になっていることに気づいた。キャスター付のカバンだと楽チンだ。店にはいると「今日、朝日新聞の朝刊に載ったんですよ」と新聞を見せてもらう。かなり大きな「わめぞ」という文字と古書現世の向井さんとうつむきかげんの往来座の瀬戸さんの写真が出ていた。「世界のわめぞ」にまた一歩前進。

月の湯古本まつり
2008年4月5日(土) 11:00〜18:30
会場:月の湯(東京都文京区目白台3−15−7)
JR目白駅改札を出て左方向すぐの交番前信号を渡ったところにあるバス停から、都バス「新宿駅西口」行き(白61系統)乗車、5つめの「目白台三丁目」下車。降車して左方向最初の路地曲がりすぐ。徒歩1分。

※詳細は、古書往来座ホームページ(http://ouraiza.exblog.jp/)にて

 家に帰ると、チャイムが鳴る。ドアをあけると眠そうな顔をしたコクテイルの狩野さんが立っている。
「明日、月の湯行きますか?」
「行くよ」
「じゃあ、このチラシ置いてきてもらえませんか?」
 おお、これまた楽しそうなイベントだ。中央線の古本文化も新時代に突入だ。

「ちいさな古本博覧会」
2008年5月10日(土)/11日(日) 10:00〜18:00
会場:西部古書会館(杉並区高円寺北2-19-9)

8店舗のホスト古書店を中心に、多彩なゲスト古書店が参加して、面白楽しい古書催事を企画しています。
約20,000冊が大集結。
懐かし本、珍し本、あれやこれや、よりどりみどり。
探してた本をここで見つけてください。

※詳細は、古本博覧会(http://blog.livedoor.jp/furuhon_hakurankai/)にて

2008/04/03

神戸倉敷京都

 昨日まで四泊五日の旅。
 神戸のサンボーホールの古本市は、最終日だったけど、大漁。今東光著『おゝ反逆の青春』(平河出版)、横井庄一著『明日への道 全報告グアム島孤独の28年』(文藝春秋)、田村隆一編『エスケープのすすめ』(荒地出版社)、薄田泣菫著『猫の微笑』(創元社、函付!)、坂田明著『笑うかどで逮捕する!』(晶文社)、遠藤周作著『ぐうたら生活入門』(未央書房)などを購入。『ぐうたら生活入門』は、単行本と文庫で中身がちがうことをはじめて知る。単行本には、園まり、安井かずみ、野末陳平、藤田小女姫、斎藤輝子、丸尾長顕の対談が収録されている。
 一箱古本市には、前衛詩関係の資料をたくさん出している人がいた。五年前に開催された三重県の伊勢市立郷土資料館の『詩人 北園克衛 生誕100年記念展』のパンフレットを買う。会場でBOOKONNの中嶋さん、北村知之さんを見かけたのでお茶を飲みながら雑談する。

 それから倉敷、蟲文庫。田中美穂さんとは初対面(共通の知人がいすぎて、そんな気はまったくしなかったが)にもかかわらず、閉店後、ウィスキーを出していただき、飲んでいるうちに、おもいのほか長居してしまう。

 翌日、岡山に行き、路面電車に乗って後楽園へ。ふだんはあまりしない観光というのをやってみようとおもったのだ。四十五分くらい楽しんだ。後楽園の反対側の奉還町商店街をぶらぶらし、そのあと倉敷で神田伯剌西爾の竹内さんと合流。竹内さんに美観地区を案内してもらうが、定休日のところが多く、再び、蟲文庫で飲み会になる。竹内さんは岡山出身で、蟲文庫の田中さんと同世代。しかも昆虫や爬虫類が大好き。ふだんはクールな竹内さんが蟲文庫のリクガメにメロメロになっていた。
 昨日あけてもらったウィスキー(たいへん高級なもの)のボトルをわたしと竹内さんでほとんど飲んでしまった。
 田中さん、すみません。ありがとうございました。

 それから前野健太さんのライブを見に、倉敷から京都へ。
 昼すぎ、扉野良人さんの家のお寺に荷物を置きに行くと、留守番の書生がいる。木屋町のライブハウス、UrBANGUILDで、働いているというトリイ君。Night Tellerというバンドをやっていて、テニスコーツや細胞文学などのサポート、自主レーベルも主宰している若者。彼の話がおもしろく、掘りごたつに座ったとたん、動きたくなくなる。
 ライブのために深夜バスで京都に来ているささま書店のN君とガケ書房で待ち合わせしていたのだが、お寺に来てもらうことに。
 さらに岡山で別れた竹内さんとも再び合流し、夕方、三人で六曜社に行く。店で偶然、薄花葉っぱのMさんと会う。

 まほろばの前野健太さんのライブは、客の年齢層がほとんど前野さんより年上で、しかもオクノ修さんが見に来ていたのせいか、前半、珍しく緊張していたみたいだったけど、徐々に立て直してゆき、後半は絶好調に。これもライブならでは醍醐味。でもN君が東京にいるときと同じ酔っぱらい方(寝るか、絡むか)だったので、京都にいる気がしなかった。
 その後、東京組(五人)、BOOKONNの中嶋さん、元高原書店のN君の先輩のYさん(大阪在住)らと扉野さんのお寺に宿泊。YさんとN君はひさしぶりの再会らしい。

 そしてわたしはYさんと明け方ちかくまで文学論争(?)をすることに……。

 扉野さん、ありがとうございました。扉野さんの晶文社から出る単行本は、四月中旬くらいには書店に並ぶそうです。