二十日、東京から名古屋、名古屋からJRで千種駅に。ちくさ正文館(新刊書店)、神無月書店(古本屋)を通って、今池のウニタ(新刊書店)という予備校時代にしょっちゅう通ったコースを経て、地下鉄東山線のシマウマ書房へ。
本山駅に降りるのは十八年ぶりくらいか。ずいぶん様がわりしていて、おしゃれな町になっていた。昔の印象とちがう。名古屋大学のちかくで、高校時代の友人が下宿していたアパートがあったのだけど、よれよれのTシャツ、ボロボロのジーンズか短パンにサンダルをはいた人(そのころの名大生は“本山原人”と呼ばれていた)が歩いているかんじの町だった。
シマウマ書房でのトークショーは「東西古本よもやまはなし」。林哲夫、岡崎武志、山本善行、南陀楼綾繁、扉野良人、わたしの六人。京都、東京の「sumus」同人が六人も集まるというのは、ひさしぶりのことだった。名古屋で「sumus」はほとんど売っていなかったはずで、こんなイベントが成立するのか心配だった。
当日、東京堂三階の畠中さん、晩鮭亭さん、Pippoさん、書肆紅屋さん、大阪からアホアホ本の中嶋さんがいて、すこしだけ緊張がやわらいだ。
トークの内容は「sumus」の前身の「ARE」のことから、古本ブームの変遷みたいな話になった。「sumus」が創刊した十年くらい前までは、古本好きのあいだでは初版本、稀覯本の話ばかりしていたが、だんだん好きな本を勝手に面白がるような雰囲気になってきたというようなことを林哲夫さんが語り、「ああ、そうだったのか」と感心した。
古本界の変遷の話を聞きながら、そろそろ次の展開を考えないとなあとぼんやりおもっていた。そのことばかり考えていて、トークショー中はまったく喋ることができなかった。名古屋まで何しにきたのかといわれたら、すみませんとあやまるしかない。
「sumus」にかかわりだしたのは、ちょうど三十歳くらいで、最初はここで何をしていいのかわからなかった。創刊号を読んだとき、自分も高尚なことを書かないといけないとおもったが、岡崎さんや山本さんを見ていたら、好きなことを好きなようにやろうという気になった。
同人それぞれ、興味の重なる部分と重ならない部分があって、同じ作家、同じ本が好きでも興味のあり方もちがっているということがだんだんわかってきた。
ひとりで書いていたときには漠然としていた自分の輪郭みたいなものもつかめてきた気がする。
変な人たちの中にいると、自分のまともなところが見えてきたり、まともな人たちの中にいると、自分の変なところが見えてきたりする。
そのうちだんだん自分の立ち位置のようなものが形成されてくる。
同人が東京と京都に離れて住んでいたこともよかったともおもう。
扉野さんがそうなのだけど、京都の「sumus」同人は、ものすごく時間をかけてひとつのことをほりさげる。
そういうふうに書かれたものを読んだり、会って話したりしていると、知らず知らずのうちに自分が効率とスピードを追求し、世の中の変化にふりまさていたことに気づかされる。
名古屋の話からズレてしまったけど、東京と京都、大阪のあいだにあって、独得の変化をとげている町だ。ほかの都会と比べて、地元志向が強く、住めば都だけど、住まないとよくわからない町かもしれない。
三重県にいたときは、名古屋のことをたんにだだっぴろくて車がいっぱい走っている騒々しいところだとおもっていた。ちょっとした用なら名駅(名古屋)前、あと駅の地下街でだいたいすんでしまうのである。
今回一箱古本市が開催された円頓寺商店街も知らなかった。名駅から歩いて十分くらいのところにこんなところがあったのか。昔ながらの商店街で道をすこしそれると古い町並も残っている。なつかしの昭和といったかんじで、一日中歩きまわったけど、ほんとうに楽しかった。この場所で一箱古本市を開催したのは大正解でしょう。いいイベントだった。
年に一度といわず、三ヶ月にいちどくらい古本市や骨董市を開催したら、県外からもいっぱい人がくるんじゃないかなあ。
以上、よそ者の勝手な感想です。
そのあともうひとつトークショーがあり、駅前で打ち上げをする。この日は三重の親元の家に一泊しようとおもっていた。飲んでいるうちに面倒くさくなって、南陀楼綾繁さん、古書ほうろうさんたちと栄のジャズ喫茶に。結局、カプセルホテルに泊るつもりが、漫画喫茶の十時間パックで朝まですごす。
翌朝、リブロの古本市(想像以上に棚が充実。文壇高円寺古書部も補充しました)を見てから東京に帰る。 二泊三日では足りない。