鮎川信夫著『一人のオフィス』(思潮社)の「自動販売機的な言論」というコラムを読み返した。
あるテレビ番組で縮緬工場の女工の生活が紹介され、「縮緬を織る人は縮緬を着ることができません」というナレーションが流れた。
縮緬工場で働く女工は夫(大工)と共働きで、夫婦の収入は八万円(※当時、銀行員の初任給が三万円くらい)だから、いくらなんでも縮緬を着ることができないはずがない、という。
正確には、そのテレビを見た平林たい子が、ある雑誌の対談でそのことに言及し、それを読んだ福田恆存がある新聞でそのナレーションを「自動販売機的」と批判した。
ナレーションの原稿を書いた人は、女工の生活は苦しいという通念にとらわれているから、こんなおかしなコメントが出たのではないか。そこには言論の自由はあっても、通念に便乗した言論ばかりで「思考の自由」がない。
「言論の正しさ」は、「人の心を支配している錯覚、偏見、自己欺瞞と、どこまでたたかえるか」にかかっていると鮎川信夫はいう。
むずかしい問題だ。
ナレーターは「縮緬を織る人は縮緬を着ることができません」といっているのだが、「買うことができません」とはいっていない。ひょっとしたら、収入の問題ではなく、仕事が忙しくて着るひまがないといった意味かもしれない。
言葉の解釈なんてどうにでもなるなあ、というありきたりの感想をいって、お茶をにごしておく。
(……続く)