会社や組織のことがよくわからない。多少はわかっているつもりのフリーライターという職業に関しても、百人いれば百通りの仕事のやり方がある。
自分の経験や方法が他人に当てはまるともかぎらない。「これだ」とおもった方法だったとしても、時間が経つとしっくりこなくなる。
文章を書くことは考えることだ。正解を出すことではない。今のところわたしはそうおもっている。正解はあくまでも自分にとってのものにすぎない。効率のいい方法ではないが、まちがえながら、そのときどきの自分に合ったやり方を探る。
芸人は守りに入ると勢いがなくなる。鋭く切り込む芸風の持ち主が、肩の力をぬいて、場に馴染もうとしているうちに魅力を失っていく。力をぬいた芸風では、一枚も二枚も上手がいる。そうこうするうちに、次々と捨て身でやけっぱちの芸人が出てくる。
家電芸人のような企画はある種の芸人にはあまりプラスにならない気がする。目先の仕事よりも、芸風を大事にしたほうがいいとおもうのだが、芸風そのものが時間とともに劣化してしまう場合もある。
プロ野球の投手には、速球が武器の本格派とコントロールや変化球が武器の技巧派がいる。速球も変化球もコントロールもよければ苦労はない。そういう人は別格であり、たいていは何かしら苦手がある。不得意を克服しようとすると、得意なことがだめになることもあるし、得意なことばかりやっていても行きづまることがある。
結局、いろいろ試してみて、修正を重ね続けるほかない。
同人誌やメルマガ、ブログなどで原稿を書いていた人が、商業誌で仕事をするようになると、いろいろな編集部の方針や制約に戸惑い、ときには理不尽なことをいわれて途方にくれることがある。自分は「A」という仕事がしたい。でも「B」という仕事を頼まれる。「A」がやりたいという意志を貫き、仕事を断るか。それとも妥協して「B」をやってみるか。わたしもよく悩む。「B」をやっていると見せかけて、適度に「A」の要素をいれてみるとか、しばらく「B」をやってみて、信用ができたら「A」をやりたいと申し出てみるとか、いろいろなやり方がある。
短期戦の場合、やるかやらないかの二択しかないが、長期戦の場合、経験を積み、信用を獲得するにつれ、自分の仕事の選択肢も増えていく。強気の直球の意見をいえば、通る人もいれば、逆効果の人もいる。逆効果の人の場合は、ストライクかボールかのギリギリのところを攻めてみたり、変化球をつかったり、「それでもだめなら次は?」と手をかえ品をかえ、すこしずつ自分のやりたい企画に近づけていく。もちろん、この方法も向き不向きがある。