2010/04/06

上京当時

 休み休み、ぐだぐだと月末をのりきり、ちょっと気がぬける。平穏ということかもしれない。
 今より仕事をしていなかったころのほうが、もっとバタバタしていた。
 金がなくなる。あわてて仕事をする。原稿料は翌月とか翌々月払いだから、そのあいだ、アルバイトもする。翌月とか翌々月にまとまったお金がはいる。
 数ヶ月間、食うや食わずの生活をしていたところに、いきなりお金がはいってくるから、嬉しくなって、酒を飲んだり、本を買ったり、レコードを買ったり、旅行をしたり、引っ越したりして、とにかく、仕事をしなくなる。すると、また金がすっからかんになる。そのくりかえしで、落ちつかない。
 そのころは一年通して仕事を続けることができなかった。一年のうち半年くらいは遊んでいたかもしれない。

 どうしてそんなふうになってしまったかというと、仕事がおもしろくなかったからだ。やる気はあったのだ。ただ、そのやる気があだになっていたのだ。当時、(一部の)出版界の空気としては、「仕事なんて遊びだよ」というノリがかっこよく、田舎を捨て、大学を中退して、背水の陣みたいな気分で、何がなんでも筆一本で生きていこうとしていたわたしは完全に浮いていた。

 わたしはかなり面倒くさいやつだった。

 その面倒くささは、生来のわたしの性格に起因することは認めざるをえないが、多かれ少なかれ、地方出身者、さらにいうと工場の町(ヤンキー文化圏といってもいい)から脱出してきた文系の人間にはわりと共通する傾向ではないかとおもう。

 田舎で文学や音楽が好きだという人間は「屈折している暗いやつ」という評価を与えられた。そのため、文学や音楽は、自分のよりどころというか心の支えというか、それがないと自我が保てないくらい大切なものになる。
 わたしには文学や音楽を遊び半分で楽しむ感覚はひとかけらもなかった。その余裕のなさを文学や音楽を娯楽のひとつとして消費することができる境遇にあった人に、バカにされると腹立たしくてしょうがないわけだ。

 田舎にいたころは、わかりやすく「暗いなあ」という罵倒だったが、上京してからは「何、ムキ(マジ)になってんの」という冷笑に変わる。
 その冷笑にどう対処していいのかわからなかった。
 田舎ではこちらのことをバカにするやつはものを知らない人間が多かったが、東京ではバカにするやつのほうが知識や情報に恵まれていて賢いことが多いのである。

 愚痴っぽくなった。

 四月になると、上京当時のことをおもいだす。いまだにひきずっているなあという気持が半分、なんとなくうやむやになってどうでもよくなってきたなあという気持が半分といったかんじなのだが。

 今は昔ほど都会と地方の情報の格差はなくなったかもしれないが、それでも田舎から上京した人は、いろいろ悔しいおもいをするだろう。
 でも何年かすると、東京にもおもしろい人間もいれば、つまらない人間もいて、とんでもなくすごいやつもいれば、どうしようもないやつもいることがわかってくる。

 とはいえ、東京人の中には遊び半分をよそおいつつ、ものすごく努力しているやつもいるから、気をぬかないように。