文章を書いていて、躓くことのひとつに条件のちがいという問題がある。
条件のちがいは、どこまでも細分化することができる。ただし細分化しすぎると一般性を失う。
何かをはじめるさい、恵まれた条件とそうでない条件がある。
まず自分の条件を見きわめる。
何が自分の武器になるか(ならないか)。
自分の条件がわるければ、恵まれた条件の人とはちがう方法をとる。同じレースには参加しないというのも手である。
このあたりの考え方は、ほとんど色川武大の『うらおもて人生録』(新潮文庫)の受け売りですね。
《——俺はだらしがない。ものを整理整頓したり、清潔にしたり、そういうことは最大の苦手なんだね。むりにやってできないことはないけれども、毎日そうするとなると、その点に全力がかかってしまって、整理整頓のために生きてるようになってしまう。これでは俺の能力が生かせない。
そうだとすれば、まず第一に、だらしがないということが致命傷になるようなコースは、避けるべきなんだ。やっちゃいけないんだ》(「一病の持ちかた——の章」)
《俺はとにかく、だらしがないという欠点を、せめて、人から愛されるようなものにしたい、と思ったんだな。それでないと、ただ、だらしがない、という直球では、一病が大病に発展しかねない。(中略)とにかく、欠点が陰気になってしまってはいけない。だらしなさに関して明るくふっきれること。(中略)だらしなさも極まれば、マイナスのヒーローにもなりうる。が、これをやるには相当の洗練を必要とするな》(「つけ合わせに能力を——の章」)
色川武大は「だらしなさ」という欠点を軸に自分の生き方を組み立てた。
自分の欠点が致命傷にならないような生き方をする。
それによって、努力の方法や方向性もちがってくる。
自分の条件(欠点)が通用する入口を見つけられるか。せっかく入口を見つけても鍵を持っていなければ入れないこともある。
鍵が見つかっても、そこから先にまたいろいろ条件のちがいが出てくる。
だからなかなか話が進まない。
欠点に関して明るくふっきれる。むずかしいことだが、大切な助言だとおもう。