2011/02/03

自宅入院

 この数日、ほとんど外出せず、家にこもっていた。
 名づけて「自宅入院」。
 お金をつかわず、体調を崩す前に体力や気力を回復するために家にひきこもる。
 からだを休めるだけでなく、自分の生き方を見つめ直す効用もある。

 新刊のロバート・ホワインティング『野茂英雄』(松井みどり訳、PHP新書)を読んだ。

 野茂英雄がメジャーリーグに移ったのは、日本のプロ野球の無意味な練習がいやだったから、というのは有名な話だ。シーズン後、肩を休ませなければいけないときに何百球の投げ込みを強いられる。
 メジャーの奪三振王のノーラン・ライアンは先発で投げたあとは三、四日休養し、筋肉組織の疲労を回復させる必要があると主張していた。
 野茂はライアンの教えを信奉していたのだが、当時の近鉄の監督は、試合がない日もブルペンでも毎日投げろといい続けた。
 根性を美徳とする監督は、肩の不調を訴える野茂に「痛みを治すためにはもっと投げろ」といった。その命令を拒否すると、彼のことを怠け者と決めつけた。

 イチローもオリックス時代のコーチにバットの握り方を変えろといわれて、拒否したら二軍に落とされたことがある。
 おそらく野球に限らず、中学や高校の部活でも、からだを壊した選手がたくさんいたとおもう。ケガをしても走れ、風邪をひいても走れといわれる。
 中には過酷な練習に耐え、力をつけた選手もいるとおもう。
 また野茂やイチローのように監督やコーチもしくは先輩に逆らって、そのまま干されてしまうケースもあるとおもう。野茂やイチローには有無をいわせないだけの力があったから、通用したやり方なのかもしれない。

 かならずしも誰かにとって最適なやり方が、自分に合っているとはかぎらない。これが最適とおもうことを常に疑うことも大切だろう。
 その最適は時代によっても変わる。トレーニング理論や環境が整備されていなかったころであれば、酷使に耐えられることが、プロで通用するいちばんわかりやすい目安だった。

 いまだにこうした考えは残っている気がする。

「風邪は気合で治せ」みたいなことをいう人がいたら、逃げたほうがいいとおもうよ。