コクテイルで飲んで、ペリカン時代にハシゴする。増岡さんに「Aさんから本をあずかってますよ」といわれる。
袋の中には『秋元潔詩集成』(七月堂、二〇一一年刊)が入っていた。
秋元潔は、尾形亀之助研究の第一人者にして、『バッテン』『凶区』『現在』『横須賀軍港案内』『ぬう・とーれ』の詩人である。
二〇〇八年一月十四日に七十歳で亡くなった。
Aさんは秋元潔のご子息なのだが、まったく自分からはそのことを名のらず、たまたまコクテイルで知り合って、そのときはなんてことのない話をして別れた。名前は「アキモトです」といっていた気がするが、秋本か秋元かすら、わからなかった。
あとで共通の知り合いから、「Aさんのお父さんは詩人らしいよ」と聞いた。
アキモトで詩人といったら……。
ひとりしかおもいつかなかったが、正解だった。
『秋元潔詩集成』の年譜を見ていたら、秋元潔の長男の名付け親は、木山捷平とあっておどろいた。
この本におさめられたエッセイでも「木山捷平さんの初孫と私たちの子が偶然、荻窪の同じ病院で同じころうまれ、木山さんに名づけ親になってもらった」とある。
そんなことも知らずに、わたしはAさんの前で木山捷平の話をしたかもしれないと恥ずかしくなった。
わたしは学生時代に玉川信明さんの大正思想史研究会に参加し、辻潤や吉行エイスケを追いかけているうちに、尾形亀之助を知った。
秋元潔の『評伝 尾形龜之助』(冬樹社、一九七九年)、『尾形亀之助論』(七月堂、一九九五年刊)も繰り返し読んだ。
尾形亀之助の詩にひたっていると、どんどん無気力になる。それでも時々読み返し、その突き抜けたダメっぷりに救われたり、さらに気怠くなったりした。
それからしばらくして、わめぞで文系ファンタジックシンガーのPippoさんと知り合い、かつてPippoさんが思潮社にいて『現代詩手帖』の尾形亀之助特集号を担当した話を聞いた。
秋元潔さんが亡くなったことを教えてくれたのもPippoさんだった。
本のお礼を書くつもりが、関係ないことをいろいろ書いてしまった。
ありがとうございます。
大切に読みたいとおもっています。