2013/09/16

戸越銀座(二)

『銭湯の女神』(文春文庫)以降、星野さんのエッセイは「自由」あるいは「フリー」であることにたいする矜持とやせ我慢が、たびたび綴られている。
 大義名分やら長いものに巻かろというような世間知との戦いに明け暮れている人という(勝手な)印象があった。

 前回、「思想の転換」という言葉をつかったのは、その印象の鮮烈さがあったからだ。でも「転換」というより、四十歳前後の星野さんは、自分の弱さを見つめなおす作業をしていたともいえる。

『島へ免許を取りに行く』(集英社)では、「何かまったく新しいことに挑んで、余計なことをくよくよ考える暇もないほど疲れたい」「抽象的な目標ではなく、手が届かなそうで届きそうな、具体的な目標が欲しい」と書いていた。

『戸越銀座でつかまえて』では、抽象的な目標のひとつの「割と自由な生き方」ではなく、迷い、悩むことも含めた「難儀な自由」の問題に踏み込んでいる。

「もう無理だ。
 逃げよう」

 星野さんの半生を考えると、この二行が書くのに、ものすごく躊躇があったのではないか。

 わたしは、四十歳前後あたりから、ずっと停滞感をおぼえつつ、自分のこれまでの生き方を変える勇気を持てずにいる。
 勇気もそうだが、逃げる場所もない——。

『銭湯の女神』で、風呂のある実家の一軒家から、陽の当たらない風呂なしアパートに引っ越したさい、「何かを手に入れるためには何かを手放さなければならない」という考えに至る。
 でも実家には、数百円の電車賃で帰ることができる。ほぼ一回分の銭湯の値段で。
 その後、母から「あんたがふらふらしていられるのは、実家があるから。仕事を選んでいられるのも、風呂なしアパートで我慢していられるのも、すぐに帰れる実家があるから。何もなかったら、もっと死に物狂いのはずだよ」といわれる。

 このせりふは『銭湯の女神』の「エセ貧乏」に出てくる。

《故郷に錦を飾る必要もなければ、稼いで家族を扶養する必要もない、いい仕事をして無理解な親を見返す必要もない。時には創作や表現の原動力になるハンディが、私には何もない》

 だから不自由が欲しいとおもう。東京生まれの星野さんのこの言葉はすごく新鮮だった。

(……続く)