今、自分は何が読みたいか。どんな文章が好きか。そのふたつの質問に答えるとすれば、星野博美さんのエッセイということになる。
『戸越銀座でつかまえて』(朝日新聞出版)が出るまで、『銭湯の女神』、『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)、『迷子の自由』(朝日新聞社)を読み返していた。
わたしも散文——エッセイを書く。そのとき自分の日常および条件からなるべく離れず、「等身大の自分」の視点で書こうと心がけている。それはおもっているほど簡単ではない。
現実の「等身大の自分」は、浮き沈みが激しく、かなりぶれる。気が大きくなったり、小さくなったりもする。
そのぶれをそのまま表出すると、支離滅裂になりかねない。
だから書き手としての「自分」らしきものを作りこむ。そこには当然ウソがまじる。
星野さんの文章もすべてが「等身大の自分」によって書かれているわけではない。しかしギリギリまでフィクションの部分を削ぎ落としている。そうかんじる。
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すこし前に戸越銀座出身の東京ローカル・ホンクの木下弦二さんと星野博美さんが、同じ小学校の学年ちがいということを知った。
遠回りしながら、答えを見つけようとする姿勢は、星野博美さんの新刊の『戸越銀座でつかまえて』(朝日新聞出版)を読んでいたときにもおもった。
『戸越銀座でつかまえて』は二〇〇八年から二〇〇九年までの週刊誌の連載が元になっているのだけど、単行本化までに四年かかっている。
当然、単なる加筆ではなく、そのあいだに「思想の転換」といっていいくらいの大きな変化がある。
就職を機に引っ越した中央線沿線の気ままな暮らしに区切りをつけ、実家のある戸越銀座に帰る。
地方出身の上京者とはまたちがった「挫折」の形。星野さんは、連載時にはそれを言葉に落とし込むことができなかった。そのことが書けない以上、本の形にはできないと考えた。
それが単行本化までに時間がかかった理由のひとつだろう。
星野さんはフリーランスの写真家、ライターという職業についた。
《私にはいまでも、この職業を選んだという自覚があまりない。あるのは、割と自由な生き方を選んだのかも知れない、という自覚だけだ。守りたいと思うのはそんな生き方のほうであり、職業ではない。自分のやり方が守れるなら、生計を立てる方法は何でもかまわないと、いまでも思っている》
《私はフリーになりたかった。それも下請けを意味するフリーではなく、本来のフリーだ》
《これを決めた時点で、安定、予定、目標という選択肢を捨てざるを得なかった》
まえがきに付けられた副題は「自由からの逃走」。
わたしにとっても他人事ではなく、身につまされながら読む。
(……続く)