2013/10/03

常盤エッセイ

 神保町のち中野から歩いて高円寺。久しぶりに長距離散歩をする。

 幻戯書房の新刊、常盤新平『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』を読む。
 もともと愛読していた作家なのだけど、晩年のエッセイはとくにいい。調子があまりよくないときでも読めるエッセイだ。

 常盤さんの著作から、アメリカのノンフィクション、コラムのおもしろさを教えられた。そうした知識以上に、本のおもしろさを伝える姿勢のようなものを学びたいとおもいながら読んでいる。

《大学は英文科だったが、英語で小説を読むのは教室だけで、下宿で読むことなどなかった。そのころから私は昼寝好きの怠け者だった。
 ただ、翻訳でメシが食えればと思うようになっていた。翻訳なら家で仕事ができるし、人とつきあうこともあまりないだろう。そのころから、というよりも子供のころから、人とつきあうことが下手だった》

 文章のあいまあいまにこうした話がはさまっている。それによって、自分の知らない海外の作家や作品を気負わずに受け止められる。ふわっと投げられた小話(もしくは、どうでもいい話)の先に広大な世界が広がっているかんじがする。
 
 常盤さんは『ニューヨーカー』は定期購読せず、新宿の紀伊國屋書店か日本橋の丸善に買いに行ってた。そのついでに喫茶店に寄ったりした。
 どこの国でも生活における喜怒哀楽は似通ったところがあるんだなあ。そんな気持にさせられる極上のエッセイ集だった。

 幻戯書房のホームページを見たら、常盤さんの『東京の片隅』が刊行予定になっていた。この本も単行本未収録のエッセイ集である。