三重から東京に帰ってきて、杉浦日向子著『江戸におかえりなさいませ』(河出書房新社)を読んだ。
杉浦日向子が亡くなったのは二〇〇五年七月——享年四十六。
以前から杉浦日向子の作品を愛読していたが、四十代に入ってから再読する回数が増えた。『江戸におかえりなさいませ』に「日本人のスピリット」というエッセイがある。
《江戸の人達に共通に言えることは、私たちよりはるかに楽に生きて、楽に死んでいったのではないかということです。背負うものがとても少なく、必要最小限のもので暮らし、ものを持ち過ぎない。交遊関係もごく狭い範囲で少数の大切な人達に囲まれて一生を過ごす。病や死を恐れず受け入れて、病むべきときは病むが良き、死ぬべきときは死ぬが良きという死生観。衣食住、すべてが八分目。足りない二分をどう工面するかに頭を働かせ、他から借りたり、代用品で済ませたり、我慢したり。こうして二分の足りないところを毎日補っていたのです》
書き写してから、この文章がそのまま帯文につかわれていることに気づいた。
常々、わたしはそういう生活、生き方がしたいとおもっている。背負うものが少なく、ものを持ち過ぎない小さな暮らしに憧れる。
杉浦さんは「江戸は丸腰、現代は過武装時代」だという。「日本人のスピリット」の初出は二〇〇二年である。
江戸時代の人がみな身軽で気楽に生きていたかどうかはわからないが、すくなくともその傾向はあった。
わたしも上京して、風呂なしアパートに住んでいたころ、テレビもエアコンも電子レンジもない暮らしをしていた。それで不便だったかといえば、最初からないと不便におもわない。ないならないで、それでやっていくしかない。
今のわたしはほしいものがそんなにない。それより何もせずのんびりすごしたい。仕事と関係ない本をだらだら読みたい。天気のいい日にふらっと釣りに行きたい。
ものよりも時間がほしい。
時間さえあれば、足りない二分はいくらでも補える。