ジョージ・ギッシングは一八五七年十一月二十二日生まれ。一九〇三年十二月二十八日、四十六歳のときに肺病で死んだ。その境遇は悲惨だった……という話は、山田稔著『特別な一日 読書漫録』(平凡社ライブラリー)の「ヘンリ・ライクロフト または老いの先取り」で知った。
昨年の秋、わたしは四十六歳になった。ギッシングと誕生日が近い(一日ちがい)。ギッシングは二十代のころから名前だけは知っていた。最初に読んだのは『ギッシング短編集』(小池滋訳、岩波文庫、一九九七年刊)だった。
才能のない画家の悲劇を描いた「境遇の犠牲者」、落ちぶれた古本狂の「クリストファーソン」の二作が読んでいてつらかった。もちろん、つらいけど、おもしろい。どちらも言い訳ばかりしているダメ男の話だ。「境遇の犠牲者」の売れない画家は、田舎の家の二階の小さなアトリエで宗教画の大作を描こうとしている。
そこに放浪中の高名な画家が、たまたま売れない画家の家を訪れる。彼が制作中の未完の大作には見るべきものが何もなく、言葉を失う。ところが、アトリエにあった地元の自然を描いた小さな水彩画には非凡なものがある。高名な画家は、彼が描こうとしている大作ではなく、水彩画を絶讃するのだが、売れない画家はその価値にまったく気づいていない。それもそのはず……。
絵のことはわからないが、一足飛びに超大作を目指そうとすれば、挫折する可能性が高い(天才は別だ)。
凡人は完成させる経験——形にする経験をたくさん積んだほうがいいのではないか。技術は使わないと衰える。条件が整うのを待っていたら、いつまで経っても形にならない。自分の力量を無視した大作に挑み続けるより、小さなスケッチをたくさん描いたほうがいい。
ギッシング自身、生活に追われ、なかなか大作を書けなかった。
山田稔の「ヘンリ・ライクロフト」に「精神の脂肪ぶくれ」という言葉が出てくる。恵まれた境遇にいる若い作家にたいする批判の文句だ。もうひとつ「平衡感覚の欠如」という言葉も印象に残っている。
『特別な一日 読書漫録』の平凡社ライブラリー版は一九九九年十一月に刊行されている。新刊ですぐ手にとった記憶がある。わたしは三十歳になったばかりだった。ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』のライクロフトは無名の文士である。ずっとロンドンで貧乏生活を送っていたが、五十歳のときにある幸運に恵まれ、田舎に家を建て隠棲する。
生活に追われることなく、創作に打ち込みたい。しかしそんな日は来ないこともわかっている。それでも仕事の合間に、すこしずつでもいいから未完の大作に取り組みたい……という気持はあるのだが、おもうようにはいかない。愚痴です。