2016/06/02

親と子

 月末、三重に帰省した。駅を降りた途端、秋の花粉症みたいなかんじになった。線路脇や空き地をよく見ると、ブタクサがけっこう生えている。
 五月に秋の花粉症はない……とおもっていたのだが、ブタクサの花粉の飛散時期は五月〜十一月らしい。

 ひさしぶりに母方のおばとおじと会った。母の妹と弟だ。子どものころ、ずいぶん可愛がってもらっていたのだが、上京してからはほとんど会っていなかった。
 わたしは東京にいて親の面倒をみることができない。おばとおじは車の運転できない母を買物に連れていってくれたり、父を病院に運んでくれたりしていた。世の中には親切でやさしい人がいる。

 八ヶ月ぶりに見た父の本棚には石塚真一の『BLUE GIANT』が八巻まで並んでいた。同じ作者の『岳』も全巻揃えている。

 子どものころのわたしは母親似だった。顔も性格も体質も。
 大人になるにつれ、父と似た部分が増えた。上京したとき、父が一九六〇年代に買ったスーツをもらった。採寸したかのように肩幅も足の長さもまったく同じだった。
 酒好きは父に似た。母はまったく酒が飲めない。
 両親の長所や短所が自分の中でごちゃまぜになっている。わたしと母は寝起きがよくない。基本夜更かしだ。父は決まった時間に起き、決まった時間に寝る。

 若いころの父は英米文学が好きだった。あと開高健と山口瞳。母は歴史小説ばかり読んでいる。母は歴史小説を読むときは年表や家系図を作り、知らない言葉をすべて辞書で調べる。

 離れた土地に暮らす親の老後の問題は厄介である。わたしはひとりっ子で頼れる兄弟姉妹はいない。田舎に帰れば、大半の仕事を失う。といって、東京に親を呼ぶのはむずかしい。田舎にいるときよりも生活は苦しくなるだろう。

 みんなどうしているのか。