2017/02/03

どちらも正しくない

 毎年、冬の底だなとおもう日がある。とにかく眠く、十時間以上寝る日が続く。夕方くらいに目が覚める。まだ寒い日は続くだろうが、すこしずつ春に近づく。
 一年通してずっと調子がよければいいのだが、なかなかそうはいかない。いろいろ試行錯誤した結果、だましだまし怠け怠け、冬をのりきるのが、いいのではないかとおもうようになった。
 とりあえず、からだを温かくして、からだによさそうなものばかり食べている。温野菜とか。

 わたしが私小説や身辺雑記、それもどちらかといえば、地味な作品が好きなのも、あまり変化や刺激を求めていないからだろう。たぶん、性格や気質も関係している。
 休日のすごし方にしても、なるべく人と会わず、部屋でごろごろしているのが好きだ(といっても、完全にひきこもりたいわけではない)。
 近所をすこし散歩して、古本屋を二、三軒のぞいて、喫茶店でコーヒーを飲む。
 旅先でも行動はほとんど変わらない。

 こうしたあまり変化を好まない気質は、当然、ものの考え方にも影響する。
 昔からそうだったわけではないが、徐々に、わたしは穏健主義者になっている。極端な変化を望まず、改良主義、修正主義でいいのではないかとおもうようになった。ただし、穏健主義は、そしてそれなりに安定した社会という土台があって成立する考え方でもある。
 たとえば、内戦や内乱の最中であれば、穏健主義の立場は守りたくても守れない。

 ジョージ・ミケシュの『ふだん着のアーサー・ケストラー』(小野寺健訳、晶文社)は、何度となく読み返している本だが、ミケシュとケストラーのふたりはハンガリー出身の亡命者という共通点はあるものの、性格は正反対。ミケシュは内気な皮肉屋で、ケストラーは気性が荒く、活発である。生涯、論争に明け暮れたケストラーにとって、唯一、喧嘩をしなかった友人はミケシュだけだ。
 それでもケストラーは、ミケシュを怒鳴りつけたことがあった。
 一九五六年のハンガリー動乱の夜、ケストラーはイートン・プレイス(ハンガリー公使館の所在地)の近くから、ミケシュに電話した。
「いっしょにハンガリー公使館の窓へ煉瓦を放りこんでくれ」
 ミケシュは「来いというんなら、むろん行くよ」と答えるが、内心、ケストラーの行動には意味がないとおもっている。
「ブタペストの街頭では、みんなが闘って死んでいるというのに、こっちはぬくぬくと眠っていろというのか」というケストラーにたいし、ミケシュは「ぬくぬくと眠るのをやめてみたって、みんなを助けることにはならない」と反論する。
「明日会って、もっと何か効果的なやりかたがないか相談しよう」というと、ケストラーは「また穏健主義者か、バカヤロウ!」と電話を切った。

 このエピソードが自分の記憶に深く残っているのは、わたしもミケシュのように考えがちだからだ。
「その行為に意味はあるのか? どんな効果があるのか?」
 そんなふうに考え、行動に移さないことが多い。
 ハンガリー動乱は六十年以上前の話だが、ケストラーとミケシュのふたりの対応というのは今にも通じる問題だろう。

 行きすぎた行動主義と何もしない穏健主義。ミケシュ流に考えると、どちらが正しくてどちらが間違っているかではなく、どちらも正しいとは限らない。どちらの選択肢も正しくないときに「第三の選択肢」を考えるのはすごく大切なことだ。でも、考えているだけだと「バカヤロウ!」といわれる。むずかしい。