《昭和二十六年(一九五一年)四月十二日(日本時間)、マッカーサー元帥解任。この驚天動地の報に、日本人はひっくりかえった》(「幻の『マッカーサー神社』」/半藤一利著『ぶらり日本史散策』文藝春秋、二〇一〇年刊)
多くの日本人はマッカーサーに心酔していた。マッカーサー元帥記念館(マッカーサー神社)やマッカーサーの銅像を作ろうという運動も起こった。
ところが、今の日本にそんなものはない。それはなぜか。
マッカーサーの「日本人はまず十二歳の少年である」という言葉が伝わってきた。半藤さんはこの「日本人十二歳説」によって、マッカーサーを讃えていた国民が我に返ったと見ている。
《熱しやすく冷めやすい、これぞ日本人。とはいうものの、よくよく考えてみると、こん畜生め、と憤ったばかりではないのではないか。戦後の日本人はGHQの命ずるがままに唯々諾々、敗戦・占領という現実にあまりにもやすやすと身を寄せた。下世話にいえば、GHQと“寝てしまった”ことへの恥ずかしさ、情けなさ。それをマッカーサーの発言によって気づかされたゆえではないか》
一時期、戦後の日本人はGHQに「洗脳」されたという意見をよく耳にした。たしかに、GHQのシビリアン・コントロールはそこそこうまくいっていたかもしれない。しかし、そこまで日本人は単純ではない。またGHQも一枚岩の組織ではなかった。
明治政府が西洋の近代化を模倣しようとしたように、戦後の日本人はアメリカの物質文明を模倣しようとした。ナショナリズムの方向を軍事から経済に切り替えた。そう考えたほうが腑に落ちる。