《戦後の日本の復興が目ざましかったのは、陸海軍が極秘にしていた一流の技術がみるみる民間にちらばったからです。一例をあげればホンダのオートバイがたちまち一流になったのはこのせいです》(山本夏彦著『誰か「戦前」を知らないか』文春新書)
日本には、軍艦や零戦を建造する技術があった。戦艦大和の艦内には電気冷蔵庫も装備していた。そうした技術を軍は極秘にしていた。
工場が破壊されても、技術は残る。かといって、戦後の日本の復興は、アメリカの占領政策のおかげではないというのは、飛躍しすぎだろう。
占領期のことについて、山本夏彦は何か書いていたかなと何冊か読んでみたところ、『かいつまんで言う』(中公文庫)の「歓声と拍手」というコラムがあった。一九七五年五月――ベトナム戦争が終結を伝える新聞記事の感想のあと、山本夏彦はこう続ける。
《サイゴンの市民はいま拍手と歓声で革命軍を迎えたと読むと、そうかとうなずく。私はサイゴンのことを知らないが、負けいくさのことなら少し知っている。負けた国は勝った国の軍隊を、歓呼して迎えるのが常だということを知っている。
もし歓呼して迎えないなら、進駐軍は何をするかわからない。進駐するほうは、あれはあれでこわいのである》
《マッカーサーは、わが国が無条件降伏したのに、なおそれを信じなかったという。東京へ入城するまでに、流血は避けられないと思っていたという。ひょっとしたら、何十万の犠牲者を出しはしまいかと恐れたという。
だから私たちは、歓呼と拍手でアメリカ人を迎えたのである。旗をふったのである。与野党あげて恭順の意を示したのである》
昭和十八年、イタリアは連合国に降参した。ナチスと連合国の勝敗がわからなかったころ、イタリア人は二種類の旗を用意していた。
山本夏彦は、どこの国もそうするだろうと述べる。戦中の日本が中国に侵攻したときも、現地の人は日章旗を振って出迎えた。当時の新聞は、そうした光景をしょっちゅう報道していた。武器を持った兵隊が進攻してきたら、歓迎するしかない。それがほんとうの歓迎だったかどうかは、後からわかる。