2017/09/27

「戦前」という時代

《昭和五年はいわゆるエロ・グロ・ナンセンスの最後の時代だった。タキシーは「円タク」といって市内一円(ただし当時東京は十五区)だったのが五十銭で、甚しきは三十銭で乗れる時代だった。満州事変はおこったが半年で終った。世間は軍需景気でうるおったがそれはほんの一部で、全体は不景気だった。ネオンは輝きデパートに商品はあふれカフエーバーダンスホールは満員だった。金さえあれば贅沢できた》(山本夏彦著『「戦前」という時代』文春文庫)

 戦後、多くの日本人は「昭和八年はよかった」とおもっていた。当時の物価指数に追いつくのは昭和三十年代である。
 戦前の日本人が衣食に困りだすのは昭和十六年から——とはいえ、日米開戦の日、山本夏彦は新橋の天ぷら屋で友人と酒を飲んでいたと回想している。昭和十四年、山本夏彦は半年働いて半年遊ぶという暮らしぶりだった。毎日のように銀座や上野で酒を飲んでいた。

 山本夏彦さんに会ったのは一九九五年の春。『無想庵物語』(文春文庫)の感想を手紙で送り、話を聞かせてもらった。戦前のアナキストの話を教えてくれた。辻潤の尺八の話も聞いた。わたしの郷里は鈴鹿の生まれで、両親は斎藤緑雨の生家のちかくに暮らしているという話をしたら、「正直正大夫だね」と、かすれた声で笑った。
 帰りぎわ、山本さんは伊藤整の『日本文壇史』を読みなさい、はじめからではなく、終わりから読んだほうがいいといった。『ダメの人』(中公文庫)をおみやげにもらった。署名本である。

「荒地」の詩人、鮎川信夫、田村隆一は、山本夏彦のコラムを愛読していた。鮎川信夫の弟子でペンキ屋の河原晋也は、山本夏彦の相撲のコラムに怒り、批判の手紙を送った。後に、笑い話になった。
 山田風太郎は辻潤や武林無想庵をモデルにした小説を構想していたが、『無想庵物語』を読んで断念した。わたしが愛読していた戦中派の詩人や作家は、山本夏彦に一目置いていた。

《私は「赤い鳥」で育っている。冨山房の「模範家庭文庫」で育っている。今にして思うといわゆる大正デモクラシーの最後にいた。軍人を憎むことほとんど生理的なものがある。陸海軍人を区別して海軍をほめる人があるが、なに一つ穴のむじなだと思っていた》

 山本夏彦は、中江兆民や幸徳秋水を敬愛していた。明治のリベラリストが好きだった。右か左か、保守か革新か。人はそんなにすっきりとは分けられない。