日曜日、西部古書会館。来年の「古書即売店一覧」(半年ごとに配布)をもらい、年末を実感する。
二十代のころは、古書会館に行くとき「五冊まで」「二千円以内」といったかんじで買いすぎに気をつけていた。最近は「五冊以上買う」「二千円以上買う」と心に決めて古書会館に行く。冊数と値段は、そのときどきによって変わるのだが、目標を設定したほうが棚を真剣に見る。
どういうわけか、今回、三重県関係の本がたくさん出ていた。郷土史の研究をする予定はないが、見たことのない本がけっこうあったので、三冊買う。橋爪博著『伊勢・志摩の文学』(伊勢郷土会、一九八〇年)もそのうちの一冊。
目次を見ると「尾崎一雄『父祖の地』と伊勢」や「庄野潤三『浮き燈臺』と安乗」といった項目がある。
尾崎一雄は、三重の生まれ(宇治山田町)。父の尾崎八束は、神宮皇学館の教授だった。四歳で下曽我に引っ越すが、七歳のときに再び宇治山田に移る(翌年、沼津へ)。
《尾崎一雄氏は、私の「宇治山田のどこで生まれたのでしょうか。」という質問に、たいへん親切丁寧にお答えいただいた。昭和五十三年二月十一日の私に宛てた書簡によれば、生まれた場所は「宇治の浦田町五十番屋敷といふ所(当時の呼稱)です、別紙に略図します……」とあり(以下略)》
この文章のあと「尾崎一雄氏の著者宛の書簡」という写真が載っている。尾崎一雄の筆跡の現住所がそのまま出ている。尾崎一雄が世を去ったのは一九八三年三月。亡くなる五年前の手紙ですね。
庄野潤三の『浮き燈臺』の舞台の志摩郡阿児町安乗(あのり)——わたしの母の郷里の浜島と同じ現在は志摩市なのだが、行ったことがない(交通の便があまりよくない)。『浮き燈臺』は、一九六一年の作品である。
庄野潤三は伊良子清白の「安乗の稚児」という詩で安乗という地名を知った。この詩を教えてくれたのは、恩師の伊東静雄である。
《その時から二十年後に私は安乗へ行き、そこへ行ったことを小説に書いた》(「志摩の安乗」/『週刊読書人』一九六二年一月十五日)
橋爪さんは『浮き燈臺』に登場する「小安ばあさん」のモデルを訪ねる。すでに亡くなっていたが、庄野潤三と小安さんがいっしょに撮った写真が残っている。
また庄野潤三と文学の話をした安乗の山本光男さんは「庄野氏は、人間は目に見えない糸のようなものがあって、たえずたぐり合っている。」というような話をしたそうだ。
ちなみに、伊良子清白の「安乗の稚児」は『孔雀船』(岩波文庫)に所収。伊良子清白は、安乗へ行かずに「安乗の稚児」を書いた。