2017/12/14

竹の会

 小沼丹著『藁屋根』(講談社文芸文庫)所収の「竹の会」を読む。小説なのか、エッセイなのか。ありし日のことをおもいだすままに書いた(ようにおもえる)文章である。

《高円寺にいた何とかさんが今度新宿に店を出した、井伏さんからそんな話を聞いたので、誰か友人と一緒に「高野」の横の汚い路地に入って、それらしいちっぽけな店を覗いた。茲は井伏さんの見える店かい? と訊くと眼玉の丸いお上が、
——はい、左様でございます。
 と神妙に返事をした》

 ハモニカ横丁の「みちくさ」という店の話。
 村上護著『阿佐ヶ谷文士村』(春陽堂)の「ハモニカ横丁から」にも「みちくさ」が出てくる(「道草」「みち草」など、表記はまちまち)。当時の「みちくさ」は朝四時ごろまで客がいた。井伏鱒二も「遅い組」だった。

 上林曉も常連のひとりだった。『阿佐ヶ谷文士村』によれば、「上林を『みち草』に紹介したのは新居格であった」そうだ。

《彼は文化人ではじめての公選杉並区長になっていた。そんな肩書きをもつ新居が、中央沿線に住む文士たちに、「みち草」を紹介する。彼は酒を飲まなかったが、次々酒飲みを連れていったのだからおもしろい。(中略)その後、「みち草」は高円寺から新宿に出て、ハモニカ横丁に店を開いた。昭和二十三年だったという》

 小沼丹は一九一八年生まれ。ハモニカ横丁に移った「みちくさ」で飲んでいたのは三十歳くらい。
 小沼丹の「竹の会」は「早稲田文学」の主幹だった谷崎精二の話が軸になっている。小沼丹は谷崎精二の教え子である。戦中から戦後にかけての文学者の様子が装飾のない文章で描かれている。
 谷崎精二から同人誌の「奇蹟」のことや葛西善蔵のことを訊く場面があるのだが、「どこかで蟋蟀の鳴く声が聞えて来たりして」といったかんじで、話題が変わってしまう。

 青野季吉も登場する。青野季吉は短気でわがままな人物として描かれる。あまり怒らなさそうな小沼丹が青野季吉と喧嘩している。すくなくとも「竹の会」を読むかぎり、青野季吉のほうがひどすぎて、弁護のしようもない。晩年の谷崎精二も面倒くさい。齢をとって、頑固になる。小沼丹は困ってばかりいる。困り役が似合う。

 かつての谷崎先生は飲み屋で学校の話をするのを嫌ったが、学長になってからは学校の話ばかりするようになった——というようなことも書いている。地位を得てか、齢をとってかはわからないが、人が変わっていく様子を見事にとらえている。