はじめて読んだ小沼丹の本は『小さな手袋』だったか。単行本の『小さな手袋』(小澤書店)は、古本屋の目録で買った気がする。そのあと講談社文芸文庫で買い直した。今、単行本は手元にない。
「大先輩」という随筆はこんな一文からはじまる。
《青野季吉氏はたいへん怒りっぽかった》
青野季吉はどうでもいいようなことで立腹する。面倒くさい人だ。
《しかし、青野さんが一番怒られたのは、或る会合の席である。妙な事情があって会が荒れて、青野さんは憤然として席を立った。僕は幹事だったから、出口まで送って行ったら青野さんはレエン・コオトを忘れたと仰言る。レエン・コオトを探して持って行くと、青野さんは今度は僕に食って掛った。
——先輩が帰るときは、黙っていても後輩はレエン・コオトぐらい持って来て着せ掛けるべきだ。それがヒユウマニズムだ。
大体、そんな意味のことを云われた》
『藁屋根』の「竹の会」にも書かれていた「レエン・コオト事件」である。小沼丹は青野季吉に「そんなヒユウマニズムは御免蒙る」といって、自分の席に戻る。それからしばらく酒場で会っても、お互い、顔を合わせないような関係が続いた。
小沼丹のエッセイを読むと、青野さんは怒りんぼうで酒癖のわるい厄介な人のようにおもえるのだが、昔からわたしは青野季吉の文章が好きである。名文家だとおもっている。
《誰でもさうであらうが、朝々にはまへの日やまへの夜にやつたこと、言つたことが、いろいろ氣になつたり、省みられたりするものだ。そして私など、どんな一日でも、美しく、滿足に、ひとに誇れるやうな生き方をしたことがないので、今日こそは祈るやうな氣持になるが、やはり駄目だ》
青野季吉著『經堂襍記』(筑摩書房、一九四一年刊)の一節。この文章を書いていたころ、青野季吉は夜型から朝型に切り替えようとしていた。
《讀む時間、考へる時間、書く時間、遊ぶ時間、眠る時間を、どう割り當てていいか當惑して、結局は出鱈目になつて仕舞ふ。私にもひと並に釣をしたり、畑仕事をやつたり、碁將棋に費す時間があつていい筈なのだが、まるでそれが無い。不思議なやうな本當の話である。自分でも不思議でたまらない》
『經堂襍記』は、身辺雑記と本の感想をとりとめもなく綴ったかんじの本で、そのぐだぐだ感が素晴らしい。
『小さな手袋』の「お墓の字」は、谷崎精二が井伏鱒二に墓の字を書いてほしいとごねる話。このエピソードも「竹の会」に書いている。