山口瞳の男性自身シリーズの『隠居志願』(新潮社)の「なるようになれ」というエッセイを再読した。ここ数年、自分の頭の中でぐるぐると堂々巡りしている話と重なる。
四十代半ばすぎの山口瞳は、国立市の自宅と都心のアパートのふたつの住居を持っていた。
一九七〇年代、東京は光化学スモッグがひどく、郊外に住むことにしたものの、通勤に時間がかかり、疲れる。それで都心に部屋を借りることにした。
《私の友人たちの間には、いままでの郊外とか都心から遠い所というのではなくて、静岡県、長野県などの、海のそばとか山奥に家を建てる者が多くなった。東京の家を売り払って、出ていく。これは別荘というものではない。そこが本居である。それでは仕事にならないので、別に、都心に事務所がわりにアパートを借りる。もっとも、これは自由業の友人たちであるが》
わたしの知り合い(やはり、自由業)にも四十代以降、生活の拠点を地方に移した人が何人かいる。家賃の高い都内にいるとものが置けない、作業スペースを確保できないなど、場所の制約がある。
高円寺だと2DKの中古マンションでも二千五百万円くらいする。仮にローンの申請が何かの間違いで通ったとしても、その金額を築五十年ちかい集合住宅の一室に払う気になれない。買った後も修繕費、管理費、固定資産税がかかる。持ち家だろうが、賃貸だろうが、住まいのために働き続ける生活は変わらない。
だったら、新幹線や特急に乗らずに二時間くらいで東京へ出てこれる場所に住み、「都心に事務所がわり」の寝泊まりできる住まいを借りたほうがいいのではないか……。
「なるようになれ」の地方移住の話には続きがある。
《一人の友人が、もう少し齢を取って、娘が嫁に行ったら、夫婦二人で、都心のアパートの2DKに住むのだと言った。(中略)実際、都心にちかい公団アパートに初老の夫婦が二人で住むというのが、ひとつの理想的な住まい方だろう。たとえ、十年間という短期間であっても》
山口瞳は小金さえあれば、田舎にひっこんで何もしない暮らしがしたいという。
《四十六歳というのは隠居になってもおかしくない年齢だ。しかしながら、小金というのが大問題である。いったい、いくらあったら暮らせるだろうか》
すこし前に政治家の老後二千万円発言が騒ぎになった。都内で暮らすのであれば、それでも足りない(自由業、自営業なら尚更足りない)。
長生きするより、ちょうど貯金の残高がゼロに近づいてきたら、家にある本やらレコードやらをすこしずつ処分し、最後は部屋を空っぽにして天寿をまっとうできたら……。
たまにそんな晩年を妄想することがあるが、計算通りの人生が送れるなら苦労はない。