一本原稿を書き上げ、押入にしまっていた春・夏・秋用のズボンを洗濯する。衣替えをすこしずつしている。
気温の変化が激しい時期は心身ともに不安定になりやすい。これは自分のせいではない。そう考えるようになってから楽になった。今、左肩が痛い。ふだんは意識していないが、わたしの仕事は左手をけっこう使う。本は左で持つ。左手の親指の力加減で頁を自在にめくれる。頁をめくるだけでも痛い。
山口瞳著『卑怯者の弁 男性自身シリーズ』(新潮社、一九八一年)を読む。ぱらぱら頁をめくっていると「春時雨」にこんな文章があった。
《規則正しい生活をする。特に運動を欠かさないようにする。人に会うのは避ける。そういう生活のなかで出来るかぎりの仕事をする。そうすれば心身爽快となり、病気のことなど忘れてしまう。
それがわかっているのだけれど、そうはならない。出来やしない》
昔からこういう随筆が好きだ。ひとりの作家の随筆をずっと読んでいると書いているときの調子のよしあしみたいなものがわかるようになる(なんとなくだが)。調子はよくないかんじだけど、面白い。山口瞳はそういう随筆が多い作家である。おそらく規則正しい生活を送っているだけではいい文章は書けない。健康すぎてもいい文章は書けない。
『卑怯者の弁』では糖尿病で入院中の話が何本か入っている。
「病室にて」では「さいわいにして私は自営業者であるのだから、自分の生活を自分でコントロールすることができる。そのうえで、書けるだけのものを書いてゆくより仕方ない」とある。
ウェブ上の書き込みにしても不健康に不寛容な人の文章というのは読んでいるときつい。「老害」という言葉を嬉々として使うような人もそう。アメリカでも若い世代のベビーブーマー世代にたいする風あたりが厳しく「OKブーマー(和訳=団塊乙)」という言葉が流行語になっている。新型コロナ関連では「ブーマーリムーバー」という言葉さえ生まれている。悪趣味だ。
誰だって齢をとる。病気になる。ケガをする。誰かに助けてもらわなければ日々の暮らしがままならなくなるときがいつかはやって来る。いつ自分の身にそういうことが起こってもおかしくない。そうした想像力が欠落している人がいる。
わたしも若いころはそうだった。