2020/03/01

備蓄

 今年は閏年だったかと数日前に気づいたのだが、とくに予定なし。

 二十代のころは曜日の感覚がめちゃくちゃで、しょっちゅう火曜日だとおもって一日すごしていたら水曜日だったということがよくあった。今はそういうことはない。
 曜日をしょっちゅう間違えていたころは、生活リズムもめちゃくちゃで時計を見て五時三十分くらいだと、「朝? 夕方? どっち?」と焦ることが月に二、三日はあった。
 曜日の感覚がおかしくなったり、朝か夕方かわからなくなったりしたのは徹夜したり、半日くらい酒を飲んだりした次の日に十二時間とか十四時間とか寝ていたからだろう。

 今は朝か夕方かわからなくなる日は年に二日か三日くらいしかない。

 もはや生活リズムがデタラメだったころの感覚が思い出せなくなっている。今も規則正しい生活を送っているわけではないのだが、徹夜はしないし、飲みに行っても二時間くらいで切り上げる。

 九年前の東日本大震災後も町からトイレットペーパーとペットボトルの水と乾電池が消えた。菓子パンやカップ麺も品切になっていた気がする。ただ、当時の記憶もあやふやになっている。

 朝寝昼起の生活をしていると物不足のときに対処が遅れる。午前中でいろいろなものが売り切れ、午後は棚がすかすかになる。開店前に薬局でマスクの整理券を配っている。昨日か一昨日あたりから、急にトイレットペーパーとティッシュが売り切れの店が増えた。
 子どものころ、鹿児島にいた明治生まれの祖父が郷里の家に来たとき「ティッシュなんて贅沢だ。鼻は古新聞かチラシでかめばいい」といっていた。母は「ケチクサイ」と文句をいっていたが、ちり紙(チリシといっていた)がなくなったとき用のやわらかい紙のチラシをためていた(家は長屋で水洗トイレじゃなかった)。昭和五十年代の話である。

 数週間後には平常運転に戻るとわかっていても、いざ店にものがないと不安になる。家にあるものでもすこし買い置きしておこうかなとおもってしまう。ひとりひとりのそうした心理が積み重なって、町からものが消える。

 ものを備蓄するのも大事だが、なければないでどうにでもなる——とおもって日々をすごすのも生活の智慧だ。ほんとうにないと困るものは何か。そういうことを常日頃から考えておくのはわるくない。