2020/06/16

三鷹へ

 月曜日、十五時ごろ、三鷹へ。総武線各駅、ガラガラだった。北口の水中書店とりんてん舎に行く。詩の本が大事にされているかんじが嬉しい。水中書店に行くとなぜか小島信夫の本を買ってしまう。この日は『各務原 名古屋 国立』(講談社)を買う。小島信夫は岐阜出身で街道文学としても避けて通れない。

 そのあと三鷹駅の南口もすこし歩く。

『些末事研究』の最新号の「荻原魚雷 方法としてのアナキズム」が届いていた。嬉しいけど、照れくさい。この「方法としてのアナキズム」は鶴見俊輔さんのエッセイの題からとっている(福田さんが付けた)。

 昨年、発行人の福田賢治さんにライター生活三十年になるという話をしたら、東京と高松の書店でトークショーを企画してもらった。荻窪「本屋Title」で行われたかけだしのライター時代のことを喋った福田さんとの対談も収録(文中「玉川信明、鶴見俊輔、山本夏彦」の小見出し有り)。二十代のころ、玉川さんに「鶴見俊輔と山本夏彦に会っておいたほうがいい」といわれたんですね。
 福田さんが東京から高松に引っ越してだいたい年に一冊ペースでミニコミを出しているのだが、東京や高松や京都でしょっちゅう会っているのであまり距離を感じない。

 鶴見さんのアナキズムというか思想の根幹には「態度と反射」というテーマがある。自分がよりよいとおもうことを行いにつなげる回路をどう作るかという問いでもある。自分の正しさへの躊躇や逡巡も大切だが、それによって動くべきときに動けなくなることもある。数日前に「半隠居遅報」にも書いたトーンポリシングの問題とも重なっているのだが、どうしても今は煮え切らないかんじでしか言葉にすることができない。時間ができたら、続きを書きたい。

 青春18きっぷの季節になったら途中下車しながら西のほうに行きたいとおもっているのだが、新コロナどうなっているか。