2020/06/08

阿佐ケ谷まで

 土曜日、馬橋公園から斜めの道(お気にいりの道)を歩いて阿佐ケ谷の神明宮の骨董市のちコンコ堂と千章堂書店へ。
 高円寺の西部古書会館はまだ再開していない。高円寺生活三十年、こんなに西部古書会館で本を買わないのは、はじめてだ。

 コンコ堂では伊藤博子著『サイカイ 武田泰淳』(希窓社、二〇〇九年)、山本夏彦著『完本文語文』(文春文庫、二〇〇三年)、千章堂書店では臼井吉見著『残雪抄』(筑摩書房、一九七六年)など。
 阿佐ケ谷の喫煙コーナーも封鎖中か。そのせいかどうかユジクの前の煙草屋の灰皿に人が集まっていた。わたしもそのひとりなのだが。

 高円寺に帰り、上林暁の『文と本と旅と』(五月書房、一九五九年)を読む。
「荻窪の古本市」というエッセイでは古本市の会場で上林暁が三人の友人と会う話を書いている。

《最初は福田清人君に会い、つづいて瀬沼茂樹君に会い、最後に渋川驍君に会った。何か嬉しかった。四人で待ち合わせて、近くの喫茶店に入った。同年輩の文学仲間だから、話がはずんだ》

 瀬沼茂樹が中野桃園町に住んでいたことを丸谷才一のエッセイで知ったが、荻窪の古本市にも通っていたんですね。

《お互い五十にもなって、こういう文学談に熱中しているところは、はたから見ると青臭いと思われるかも知れないが、文学青年の時代からは一時代も二時代も進んだ所で、文学に対する若々しい情熱がまだ燃えていることを意味するもので、非常に良い刺戟になった》

 上林暁は一九〇二年、福田清人は一九〇四年、瀬沼茂樹は一九〇四年、渋川驍は一九〇五年の生まれである。
「荻窪の古本市」を発表したは一九五四年十二月——上林暁は五十二歳か。古本好きの作家はしぶとい。

 三十歳くらいのときは五十代なんてずっと先のことだとおもっていたが、あっという間ですよ。わたしも古本屋通いを続けているが、もはや情熱か惰性かわからなくなっている。

 この日、買った臼井吉見も一九〇五年生まれだから前の四人とは同世代である(福田清人とは大学時代に同級生だった)。
 臼井吉見も成田東(阿佐ケ谷界隈)に住んでいた。