2022/04/10

Ⓐさんのこと

 木曜日午後三時すぎ、神保町の古本屋をまわって新聞社に寄った。そこで藤子不二雄Ⓐさんの訃報を知った。八十八歳。悲しい気持よりも見事な人生だなと……。

 二〇〇四年に編集した『吉行淳之介エッセイ・コレクション』(ちくま文庫)の一巻「紳士」の解説を藤子不二雄Ⓐさんにお願いした。十八年前。わたしがはじめて作ったアンソロジーである。

『Ⓐの人生』(講談社、二〇〇二年)の「ニンゲン大好き!」に「ぼくは昔文学青年で吉行淳之介サンのファンだった」とある。第三の新人の交遊とトキワ荘の雰囲気はどことなく通じる——とⒶさんは考えていた。ちなみに『まんが道』(中央公論社、一九八七年)の愛蔵版の解説を吉行淳之介が書いている。Ⓐさんの日記には尾崎一雄や梅崎春生の名前も出てくる。

 わたしはⒶさんのエッセイが好きで、一時期、その文章の書き方を勉強した。でもどんなに真似しようとしてもⒶさんのような軽やかな文章は書けないと悟り、諦めた。ふわっとしているが達観している。『まんが道』で過去の自分(たち)を描き切り、ほどよく力が抜けたのか。もともとそういう資質だったのか。

『Ⓐの人生』の「禍福はあざなえる……」というエッセイでは——。

《世の中、良いことがあればわるいこともある。良いことは長くつづかないし、わるいこともそう長くつづかない。
 良いことがあった時は、モチロンその状態にひたりきればいいが、わるいことがあった時はどうするか?
 ぼくはそんな時、なんにも抵抗しない。ただジーッと頭をふせて、わるい風がとおりすぎるのを待つだけだ》

 同書の「休カン日をつくろう」は過去にもこのブログその他で紹介した。休カン日は「休感日」。感覚や神経を休めるため、“なーんにもしない”、“なーんにも考えない”で過ごす日を作ろうという提案である。

 しかしこの“なーんにもしない”がむずかしい。体の疲れよりも神経の疲れは気づきにくい。だから用心しすぎるくらいでちょうどいいのだろう。

 今日はなーんにもしない日にしようとおもう。