2022/04/17

自信と配慮

 吉行淳之介著『人工水晶体』(講談社文庫、一九八八年)は巻末に第二回講談社エッセイ賞の「選評」と「受賞のことば」を収録——。
 井上ひさしの選評に「『エッセイとは、つまるところ自慢話をどう語るかにあるのではないか』と気付いた。(中略)もとより読者は一般に明け透けな自慢話を好まない。そこで書き手は自慢話を別のなにものかに化けさせ、ついには文学にまで昇華させなくてはならない」とある。
 他の選評は大岡信、丸谷才一、山口瞳である。

 吉行氏の「受賞のことば」もいい。

《ひとのために役立とうとおもって、私は文章を書いたことがない。しかし、「人工水晶体」は白内障で悩んでいる人たちのために書いた。これは珍しいことだったが、そのために愚痴がすくなくなって、そこが良かったかもしれない》

『人工水晶体』(講談社文庫)の「人工水晶体」と「淳之介『養生訓』」は『淳之介養生訓』(中公文庫、二〇〇三年)でも読める(その他の収録作はちがう)。

 あらためて「人工水晶体」を読むと、冒頭は一九七六(昭和五十一)年十月からはじまる。吉行淳之介五十二歳。
 すでに眼の具合に違和感があり、病院で診察を受けたところ、両眼とも白内障といわれる。しかし本人はただの眼精疲労だとおもっていた。

《眼の医学は毎日のように進歩していて、間もなく新しい手術の噂が微かにきこえてきた。
 その新式の手術についての記事が、昭和五十二年の春に新聞に出た。今にしておもえば、丁度アメリカの政府が「人工水晶体」を許可した時期に当っている》

 吉行氏は自分の眼の様子をみながら、新しい治療法について調べはじめる。
 厚生省が日本での人工水晶体の輸入および製造を承認したのは一九八五年三月——。吉行氏が人工水晶体の移植手術をうけたのは一九八四年十二月である。

 病気に関しては早期治療がよいというのが通説だろう。ただし一年か二年の差で医学が格段に進歩する場合もある。もっとも素人にはこの判断はむずかしい。
 吉行氏の医療に関する方針はこんなかんじだ。

《私はいろいろ病気をしてきた。それぞれの病気について、シロウトの理解できる範囲のことはできる限り調べる。そして、信頼できると自分がおもった医師を見付けると、あとはなにも質問せずに身柄をあずけてしまう》

 信頼できる医師かどうかはどう判断するか。吉行氏は「医師としての自信と患者にたいする配慮とのバランスが程よく保たれている」人物を名医と考えていた。どれだけ知識や技術が優れていても、患者の不安がわからない人はよい医師とはいえない。

『人工水晶体』所収の他のエッセイや対談でもこのテーマを語っている。医学にかぎらず、信頼できる専門家を見分けるさいも参考になりそうな意見が頻出する。