カレンダーが六月のまま五日ほど過ぎてしまった。あやうく人と会う予定の曜日をまちがえるところだった。ここのところ日中は暑いので深夜に散歩する。町が明るくなった。人も多い。最近というわけではないが、酔っぱらうと喋るのが止まらなくなる。
安いから買うのではなく、読みたいから買うのだ——と自分に言い聞かせ、土曜日、西部古書会館。大均一祭。初日は全品二百円。伊藤俊一著『鈴鹿の地名』(中部経済新聞社、一九九五年)など。『鈴鹿の地名』の表紙と裏表紙は広重の「庄野の白雨」。ミニコミ新聞「鈴鹿ホームニュース」の連載をまとめた本のようだ。生まれ育った近鉄沿線の土地以外は知らないことばかり。
東海道庄野宿の名物「焼き米」は茶わんなどにお湯を注いで食べた。鈴鹿あられはお茶漬けみたいに食べることもあるのだが「焼き米」のころからの名残なのか。
日曜日、大均一祭二日目。全品百円。カゴ山盛り買う。なぜか滋賀、岐阜、長野の街道関係の本が大量にあった。書き込みから推測すると同じ持ち主の本か(巻末に鉛筆で購入日か読了日の日付あり)。街道に関していうと、わたしもこの三県に興味がある。小さな川や水路のある町を歩きたい。
たまにインターネットの古本屋などで買ったときの注文履歴書がはさまったまま売られている本がある。本を売るときはそういったことにも気をつけないといけない(わたしも本にはさんだままにしてしまうことがよくある)。しかし売る側も注文書のような個人情報を含むものはチェックして処分してほしい。
かつて高円寺のガード下の都丸書店の分店の均一棚に「S」という人(フルネームで記されていた)の蔵書がよく並んでいた。尾崎一雄や上林暁の文庫など何冊か買った。
二日目に買った中部日本新聞社編『日本の街道』(新人物往来社、一九六七年)は歴史選書の一冊で「神戸元町 こばると書房」のシールが貼られていた。こばると書房の名前は知っていたが、シールははじめて見た。野村恒彦著『神戸70s青春古書街図』(神戸新聞総合出版センター、二〇〇九年刊)にも思い出で古本屋として紹介されていた。中部日本新聞社編『日本の街道』は黒の函入の版(一九六三年)もあり、すでに入手済。街道本、装丁ちがいの同じ本が多い。歴史選書版、函入いずれも定価は四百九十円。よく読み返す街道本なので二冊あっても困らない。この本、中日新聞の連載だったようだ。旧道、峠などの難路も訪れていて、取材費も相当かかっている。
街道と文学、あるいは古本の話をどうからめていけるか。「それはそれ」と分けて考えるのもありだろうが、わたしはそうしたくない。たとえば純文学の作家にも中年以降に歴史小説や紀行文を書く人はけっこういる。中年は中年で問題は山積みなのだが、それより五十数年この世に生きてきて、見落としてきたこと、通りすぎてきた場所を知りたい。今はそういう心境だ。そのうち気が変わるかもしれない。