2022/09/01

意欲

 すこし前にミシマ社の小田嶋隆さんの新刊が届いたので、同社の既刊の『小田嶋隆のコラム道』『小田嶋隆のコラムの切り口』を読み返した。『小田嶋隆のコラム道』は小田嶋本で一番読み返しているかもしれない。本に三省堂書店のレシートが挟まっていた。日付は二〇一二年の五月二十四日。最近の本だとおもっていたのだが、十年以上前か。『コラム道』の第五回「モチベーションこそ才能なり」にこんな一節がある。

《技巧のない書き手は、どんなに良い話を持っていてもそれを良質のテキストとして結実させることはできないし、意欲を高く保ち続けることのできない書き手は、最終的に、原稿を読める水準の作品として着地させることができない》

 この話と新刊の『小田嶋隆のコラムの向こう側』の二〇二二年三月の「思い上がりがもたらす自縄自縛」はつながる。

 文章にかぎった話ではないが、意欲の持続ができるかどうか、それができないとあらゆる作品は未完成になる。
 技巧に関しては百人いれば百通りの手法があるだろう。「ヘタウマ」だって立派な技巧といえる。ただ、その人の技巧や作風が、広く(狭くてもいい)知られるまでには積み重ねが必要だ。しかし書いても書いても「くだらない」「つまらない」と貶され続けたら、よっぽど強靭な精神力の持ち主以外はいやになる。

 編集者の仕事の七割くらいは書き手の意欲をそがないことではないか——というのがわたしの持論だ。

 インターネットの普及以降、プロアマ関係なく、何かを発表するたび、批判にさらされる(賞讃されることは滅多にない)。

 他の書き手はどうだか知らないが、わたしは日々書きかけで終わってしまう原稿を量産している。「読みかけていた本が行方不明になってしまった」「返事に時間がかかりそうなメールが届いた」くらいの理由で書きかけの原稿が頓挫してしまうこともよくある。

 途中で資料を探さなくてもいいようにはじめから机のそばに揃えておく。仕事中はなるべく外からの情報を遮断する。それだけで文章を最後まで書き上げる率は三割くらい増す(とおもう)。

……もうすこし長く書く予定だったが、急な予定が入ったのでこれにて終了する。