2022/10/27

書きかけ

 有志舎の季刊のフリーペーパー『CROSS ROAD』(VOL.14)が届く。「追分道中記」(全四回)は最終回——近江路・草津宿について。自分から頼んで書かせてもらった連載だった。
 街道や宿場町の本を集めているうちに興味が拡散し、迷走していた。何か一つに絞って書きたい。それで街道の中でも合流点であり岐路でもある「追分」に照準を定めた。

 今週の日曜日は多摩川を歩きに行った。行きは新宿から小田急線、帰りは京王線。『フライの雑誌』の取材という名目だが、とにかく川沿いの道が歩きたくてたまらなかった。水辺が見たかった。
 今まで降りたことのなかった駅で下車し、川沿いの遊歩道というかサイクリングコースを散策した。

 新刊の『故郷へ、友へ、恩師へ、風の便り 山田風太郎書簡集』(有本倶子編、講談社)の帯を見て、今年、山田風太郎が生誕百年だったことに気づく。同書は色川武大、筒井康隆らの手紙も所収——。

 二〇〇四年に『山田風太郎疾風迅雷書簡集 昭和14年〜昭和20年』(有本倶子編、神戸新聞総合センター)も刊行されている。昭和二十年十月十日の友人宛の手紙がいい。
 戦中の風太郎は日本精神に深い懐疑を抱き、奇怪かつ滑稽と感じていた。ところが、戦後、「こう云う日本精神に対する懐疑とか、合理的とか云う言葉は、今度は杓子も猫も口にする時勢となって、如何にも迎合的であるが、僕のは借物ではない。然るに米国から高圧的に日本の神秘主義粉砕の弾圧が下って来ると却って何糞と云う反抗心に駆られて、日本の偉大なる神秘の炬火を自分の魂と他人の魂に昂揚させたい欲望を感ずる」と書く。風太郎、二十三歳。