2022/10/02

電話のこと

 金曜夕方、古着屋で秋用のシャツ(千円)を買い、そのあと西部古書会館に行く。古書展、平日の開催を忘れていたのだが、散歩中に気づく。夕方で人も少なく、ゆっくり目次や奥付を見て本を選ぶことができた。草柳大蔵著『ルポルタージュ ああ電話 山村のできごとからその未来像まで』(ダイヤル社、一九六七年)などを買う。昭和の電信電話事業のルポ。「申込んでもつかない電話」「つながらない市外電話」——五十数年前までは電話をかけるのも大変だった。
 たとえば滋賀県の彦根市から市外電話をかけようとすると、つながるまでに「京都が四時間四十分、東京まで七時間」。電車のほうが早い。

 わたしは一九六九年生まれで家(長屋だった)に電話がついたのは一九七四、五年ごろだった。自分の親は三十歳過ぎまで電話のない生活を送っていたのか。当時、近所には電話のない家はいくらでもあった。

 上京して半年くらいは電話なしで過ごした。住んでいた寮の玄関に十円を入れるピンク色の電話があった。十円玉を何枚も用意するのは面倒だったから、こちらから電話をかけるときは近所の銭湯の公衆電話を利用した。金券ショップでテレフォンカードを買っていた。千円のカードが九百五十円くらいだったか。

 部屋に電話をひいたのは高円寺に引っ越してきてからだ。権利だかなんだかのお金が七万円くらいした。郷里の家の電話はダイヤル式の黒電話だったので、東京に来てから留守電機能のついた電話をつかうようになった。道具が増えると楽になる。楽だとおもうのは最初のうちで、すぐ日常になる。

 今や電話といえば、スマホや携帯電話を指し、自宅の電話を「家(いえ)電」と呼ぶようになった。