辻征夫は明治大学卒業後、職を転々とし、一九六六年四月、思潮社に入社した。最初の仕事は、鮎川信夫の『詩の見方』(思潮社)の担当だった。
最後に辻征夫が鮎川信夫の姿を見たのは、黒田三郎の追悼の会だった。
会場は満員で中に入れず、待合室に案内される。
《そこに鮎川信夫氏が一人だけ、入口に背を向けてベンチに腰を掛けていたのである。「こんにちは」と挨拶すると、鮎川さんも「こんにちは」と例の屈託のない声で言い、私は邪魔にならないように斜めうしろのベンチに腰掛けた》(「鮎川信夫氏と『長兄』の死」/辻征夫著『ロビンソン、この詩はなに?』書肆山田)
辻征夫は「私が書くのは単なる詩であって、それがどういう部類に属するものか、考えてみても別段おもしろくない」といっている。また「現代詩」という呼称も捨てて、「詩は、詩という一語で充分である」ともいう。
《ライト・ヴァースといわず敢えて詩といわせてもらうが、詩はかんたんにいえば滑稽と悲哀ではないだろうか》(「滑稽と悲哀」/『ゴーシュの肖像』書肆山田)
(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)