《自分の存在をかけない言葉が人を動かすはずはない》
中村光夫のこの一文を読んだとき、わたしはそうかもしれないとおもった。しかし半分くらい釈然としない気持が残った。
昭和の文人たちがどういう緊張感の中で小説を書き、批評していたのか。中村光夫の文章を読んでいると、そんなことも考えさせられてしまう。
もちろん戦後の日本では、そこまでの緊張感はない。かつて「俗物」といわれることはかなりの打撃をあたえる批判ではあった。今の目で見れば、いったもの勝ちのレッテル貼りというかんじもしなくはない。
「ホンモノ」「ニセモノ」という評価の仕方もあった。
はっきりと正統といえるものがないとこうした批評は成立しない。
考え事をしていて、行き詰まったときに、古本屋に行くと、ちょうどいい助け船になるような本に出くわすことがある。
仕事帰り、古書現世にふらっと寄ると、矢野誠一編『話がご馳走』(廣済堂出版、一九八五年刊)があった。
目次を見ると、色川武大と太地喜和子、山本夏彦と結城昌治、神吉拓郎と品田雄吉といったゲストをむかえての座談会。この名前を見たら、読みたくなるというものだ。
最初は、山藤章二と吉行和子がゲストの「男の笑い、女の笑い」。
吉行和子がタモリ、ビートたけしの話を聞いているとちょっと緊張するけど、明石家さんまだと安心して聞いていられるというような話をしたあと、山藤章二が次のように述べる。
《山藤 いまの緊張という言葉が一つの目安みたいですね。プロというのは何となく緊張感を感じさせるところがあるでしょう。寄席がある程度の教養とか感性がないとプロの芸は味わえないという約束事があったりする。そういうのは若い子にはしち面倒なんですね》
受け手側の変化。わかりやすさを求める。矢野誠一は、戦後まもなくの寄席で客席が笑うとガラスがゆれる、それがはっきりわかったと語る。今、どんなにおもしろいものがあっても、そんなふうには笑えない。
笑いだけでなく、文学や映画もそうだ。今のように情報が飽和状態になると、言葉や文章にたいする飢えは、どうしても薄れてくる。
ガラスがゆれるような笑いの話を読んで、わたしは二十年くらい前のライブハウスの様子をおもいだした。
会場のまわりではケンカだらけ。鋲のついた服を着た客がごったがえし、客が酸欠で倒れて演奏中止。ステージに金網が張られているなんてこともあった。ライブのあと服はボロボロ、腕から血がたら〜。なんだったんだろうね、あれは。
文芸への熱も、ある種の欠乏感、渇望感……飢餓感と無縁ではない。
かならずしも、それはいいことばかりではない。いや、あんまりいいものではない。
(……続く)