昨日、河北新報夕刊のエッセイの最終回(九月十四日に掲載)を書いて送る。一山こえたという感慨にひたるため、一日中、怠ける。
むしょうに漫画が読みたくなり、末次由紀『ちはやふる』(講談社、現在五巻まで)を一気に読む。
巻が進むにつれて、作者がのってきているのがわかる。ストーリーにどんどん熱が帯びてくる。
競技かるたは、頭脳戦(記憶力、かけひき)の要素にくわえ、集中力、反射神経、体力も問われる競技である。単なる勝ち負けだけでなく、登場人物(脇役もふくむ)の成長がちゃんと描かれている。それぞれの得手不得手への取り組みや練習のシーンが丁寧に描かれている分、ルールすら知らなかった競技かるたの世界に自然と感情移入できてしまう。
ちょっと気になったのは、小学生時代に主人公の千早に競技かるたの魅力を教えた綿谷新と高校時代になって千早のライバルになるクイーン若宮詩暢の力の差である。
新は千早が「かるたの神様」という将来の名人候補という設定(さらに祖父はかるたの伝説の名人)で、小学生のころ、学年別の大会でずっと日本一だった。詩暢は「小4でA級」になった史上最年少の「クイーン」(女性のかるた日本一)である。ふたりとも同学年だ。
いっぽう新は中学時代、わけあってなかなか大会に参加できず、B級で足踏みしている。クイーンが小四でA級になっているにもかかわらず、なぜ「小1から小5まで学年別で毎年全国優勝」していた新はA級ではないのか。
しかし新は「学年別で毎年全国優勝」していたとなると、詩暢は小学四年生のころに日本一になっていない。
どうやって詩暢はA級なったのか。詩暢は小学生の大会には出場せず、そのころから大人の大会に参加していたのか。だとすれば、当時から詩暢は新よりもはるかに強いことになる。
『ちはやふる』の物語の流れを考えると、まず千早がクイーンの詩暢に追いつき、それから「かるたの神」である新を目指すことになると予想されるのだが、クイーンのほうが新よりもあきらかに強いとなると……。
この謎というか矛盾は解決されるのか、解決されないのか。いずれにせよ、続きが気になる。