静岡に行く。妻の母方の祖父のお通夜。月曜日に東京に帰ってきたら、わたしの母方の祖母が亡くなっていた。ふたりとも九十歳をこえていたし、最晩年のすこし前まで元気だったから、大往生だとおもう。
疲れがたまっているので休む。テレビでオリンピックの候補地争いの話をやっていた。リオデジャネイロでいいとおもう。今後はやったことのない地域優先ってことにすりゃいいのに。
このあいだ帰省したとき、鈴鹿にいたブラジル人がほとんど国に帰ってしまったという話を聞いた。残業がなくなり、仕事が週三、四日なり、このままでは食っていけない、帰りの飛行機代も残らない——そういうところまで追い込まれ、彼らは日本を後にした。
台湾に生まれ、鹿児島で育った父は、十八歳のとき、上京し、あちこち工場で転々と働きながら、三重県の鈴鹿に辿り着いた。鹿児島弁と標準語、関西弁は、かなりちがう。
子どものころ、父の祖父や親戚の話す鹿児島弁がまったく理解できなかった。外国語のようだった。父にとって標準語や関西弁がそうだったのではないか。だから無口だったのではないか。それで父は本ばかり読んでいたのかもしれない。
鈴鹿は出稼ぎ労働者の町だった。わたしが生まれ育った長屋の一角にはフィリピン人の家族も住んでいた。父のいた工場もフィリピン人がたくさん働いていた。わたしが田舎にいたころは、まだそんなにブラジルやアルゼンチンの人はいなかった。
南米の労働者が増えたのは、この十年くらいか。町のあちこちに、ブラジルの国旗を飾った雑貨店やバーができた。
都会と地方という話になると、都会は進んでいて、地方は遅れているとおもいがちだが、別の見方をすれば、高齢者や外国人の比率の多さも含めて、東京よりも地方都市のほうが未来にふみこんでいるようなところがある。