2011/12/22

震災後に考えたこと その二

……ごちゃごちゃになっている考えを整理したいのだが、何をどう書いたらいいのか、いっこうにまとまらない。震災と原発事故、いっしょに考えたほうがいいのか、分けて考えたほうがいいのか、それすらわからない。

 三月から五月くらいの記憶も薄れつつある。
 スーパーやコンビニでは水や電池などが品不足になり、節電の影響で町も暗くなった。
 三月下旬、東京の水道水に放射性物質が検出されたときは、この先どうなるのかと心配した。

 でも原発の話することは避けがちだった。すくなくとも愉快な話題ではないし、意見も分かれやすい。
 原発の賛否だけでなく、内部被曝の問題に関しては、夫婦や親子ですら一致しないこともある。
 たとえば、東北、関東の農家の心配をしている人と国の安全基準を心配している人がこの問題を話しあっても、おそらく平行線をたどるだろう。
 同じように放射性物質のことを心配していても、人によって危機感もちがう。
 年齢、住んでいる場所、小さな子どもがいるかいないか……。
 日々の食事をどうするか。家族がいれば、自分だけの問題ではすまない。
 とはいえ、あまりにも気にしすぎていたら、食べるものがなくなる。

・どこまで気をつければいいのか。
・いつまで気をつければいいのか。

 そういったことを個人個人が判断せざるをえない(気にしないこともひとつの判断である)。
 情報環境の差によって、その判断は大きく変わってくる。
           *
 原発事故は誰も望んでいたことではない。しかし起こってしまった。その結果、さまざまな理不尽と不平等が生じ、拡大しようとしている。
 国や自治体に何とかしてもらいたいところだが、政治にできることは限られている。事故の収束とガレキの処理のほうが、何年後かに発症するかもしれない(しないかもしれない)放射性物質の影響よりも優先課題なのだとおもう。

 国にできること、個人にできること。
 その隙間がどんどん広がっている気がする。

 ひとりひとりの安全と健康に関しては自衛していくしかない。

(……続く)