……昔から冷静に世の中を分析したり、俯瞰したりすることが得意ではない。そのかわり(自分の)日常や生活における実感を大切にしてきた。
震災後、悲観しがちではあったが、なんだかんだいって、日本は恵まれた国だという実感はある。
内乱もなければ、飢饉もなく、医療、衛生、治安は非常に優れている。
これほどの災害に見舞われても、大きな混乱が起こらなかったのは、社会にたいする信用があったからだともいえる。
今回の震災でも、道路や線路の復旧、流通網の回復の早さは心強くおもえた。
世界から賞賛された日本の被災者のモラルを支えていたのは、個人の善良さだけではなく、自国の技術や国力への信頼も大きかったのではないか。
きっと救助が来る。水や食糧が届く。今さえしのげば何とかなる。
大震災と原発事故後の日本は安心や安全にたいする信用も揺らいだ。揺らいだけど、瓦解はしていない。今のところは。
すこし前のこのブログで紹介した「福島の惨事:未だ何も終わってはいない」(ジョナサン・ワッツ記者)の締めは次のような言葉だった。
《原子力の惨事は恐ろしいものだったが、想像していたほどではなかった。1年前に誰かが私に原子炉3基が同時にメルトダウンすると言っていたら、それは世界の終わりだと思っただろう。でも、今の日本は想像していたような終末の様相を呈していない。その代わり、ゆるやかな崩壊が起こっている。福島を3回訪問して1年前より放射能に対する恐怖は小さくなったが、日本に対する心配は大きくなっている》
この記事を読んでから「ゆるやかな崩壊」という言葉が引っ掛かっている。急激にではないが、徐々に「何か」が壊れはじめている。信用とか信頼とか目には見えない、これまで社会を支えていた何か。
安全といわれてもそれを信じない。
同時に危険といわれてもピンとこない。
そんな思考停止が世の中に蔓延しつつあるようにおもえてならない。
わたしもそうなってきている。