2011/12/01

『SUB!』と神戸

……日曜日、西荻ブックマークの北沢夏音著『Get back, SUB!』(本の雑誌社)の刊行記念のトークショーは無事終了。
 打ち合わせから打ち上げまで、北沢さん、森山裕之さんと雑誌やコラムの話ができて楽しかった。

 北沢さんは、雑誌は何か(自分がいいとおもうもの)に張らなければおもしろくならない……というようなことを語っていた。

 有名か無名か、新しいか古いか、売れる売れない。そうした基準でものを考えることを疑い、その基準を壊す。
「ない」から作る。「自分が読みたい(見たい、聞きたい)」から作る。

 編集の仕事のおもしろさもそこにあるし、それは書き手にもいえる。

『SUB!』の由来は、サブカルチャーの「サブ」で、命名者は谷川俊太郎。現代詩から音楽、写真、美術と幅広いジャンルの人が参加していた。辻まことや富士正晴の連載もあった。今、見ると、豪華な執筆陣に驚くのだけど、当時は大半は知る人ぞ知るくらいの存在だった。

 この雑誌が神戸で作られていた。ただし『QJ』連載時、わたしは神戸の土地勘がほとんどなかったから、そのことを深く考えていなかった。

 トークショーの当日、『SUB!』の発行人の小島泰治の父で歌人の小島清の『對篁居』(小島清歌集刊行委員会、一九八〇年刊)という遺歌集を持っていったのだけど、紹介しそびれた。

 小島清は明治三十八年東京生まれ。大正四年に父のイギリス神戸総領事館就職に従い、神戸に移る。

《レインコートを肩にしてパイプくゆらし神戸は今も若き日の街》

《作品の上から見ても、彼の青春のすべては神戸にあった。
 若き頃から国文学に身を置く希望は強く、国学院大学に入学しながら、東京大震災にはばまれて、空しく神戸に戻り、あとは独学で僅かに渇を医したという話にしても、戦中戦後の職の転々も》(「後記」頴田島一二郎)

 小島清は後に古本屋を開業するのだが、店は昭和十三年の関西大水害で流され、さらに昭和二十年の神戸の大空襲で家屋が全焼し、戦後は京都で暮らした。

《こう見て来るとなまやさしい生き方ではなかったはずの神戸なのだが、多くの友に恵まれた神戸。妻子を得た神戸。何よりも爽やかな青春のすべてを燃焼した神戸は、彼にとって忘れようとしても忘れ得ない土地であったに違いない》(同書)

 神戸に行きたくなってきた。

『Get back, SUB!』の刊行記念イベントは、関西でも行われる予定だそうです。