2017/07/17

百閒の喘息

 吉行淳之介の年譜、昭和四十七年(一九七二)、四十八歳——。

《前年末より、ふたたび心身ともに不調に陥る。極度のアレルギー症状で、気分の上では半死半生で暮す。一年間の執筆枚数三十枚》

 旧著の改装本などによって、何とか生計は立っていたが、年間三十枚というのは不安だったのではないか。ちなみに、この年譜は『私の文学放浪』(角川文庫)のものだ。

 不調は一九七三年の秋くらいまで続いた。原稿用紙を見るのが怖くて、口述したものに手を入れていた。
『わが文学生活』(講談社)では、四十七歳から四十八歳にかけて体調が最悪だったころの話を回想している。

《この二年のブランクのころからかな、「小説家のふりをする」ということを言い出したんだ、ぼくは》

 吉行淳之介著『目玉』(新潮文庫)に「百閒の喘息」というエッセイのような小説がある。吉行淳之介は、内田百閒の「壽命」という作品を読み、百閒も喘息だったことを知る。
 百閒は自身の病気の話を何度となく書いているが、喘息の話はほとんど書いていないらしい。

《最初、百閒は喘息という症状が気に入らず、心臓神経症というタイプをヒイキにしているのか、と私は邪推した。ところが、話はもっと簡単だったようだ。百閒の喘息は青年期を過ぎる頃から軽くなって、『私には夏型の喘息がある』などと書いている。それがどういうものか私は知らないが、大きな咳やくしゃみがつづくようである》

 おそらく百閒の喘息は夏型過敏性肺炎か秋の花粉症だろう。前者はカビ、後者はブタクサなどの花粉が原因である。