わたしがJR中央線の高円寺界隈に引っ越してきたのは一九八九年十月中旬——二十歳になるひと月前のことだ。
高円寺に三十年。これまで払ってきた家賃を計算すると「中古のマンションなら買えるやん」とおもわないでもない。ただ、高円寺に移り住んできたころは、バブルの最盛期で二十三区内にマンションなんて買えなかった。というか、どこも買えなかった。三十年前どころか十年前でも無理だ。
この三十年、高円寺内を転々としてきた。かつては敷金・礼金・前家賃と不動産屋への手数料――当時は敷・礼二ヶ月というのが相場だった。そういえば、いつまで家賃を手渡しだったのか。すくなくとも二十代のころは大家さんか不動産屋に家賃を直接払っていた気がする。
上京後、はじめて不動産屋をまわったとき、高円寺と吉祥寺の物件を紹介された。高円寺に決めたのは西部古書会館の存在が大きかった。
最初に住んだ東武東上線沿線の下赤塚の寮(単身赴任中の父の働いていた自動車のプレス工場の独身寮)から高円寺への引っ越しのさい、味二番という中華屋さんの角の狭い路地を曲るとき、車のドアを擦ってしまい、その修理代がかかったのも今となってはいい思い出だ。
引っ越し当初は、テレビもエアコンもなく、部屋ではレコードを聴き、古本ばかり読んでいた。
もしお金があったり、行動力があったりしたら、こんなに古本を読む生活を送ることはなかったにちがいない。
人生何が幸いするかはわからない。それが幸いなのかどうかはさておき、就職もせず、高円寺でふらふらと本読んで酒飲んで原稿を書いて、まもなく五十歳になる。
年々欲しいものはなくなっているが、行きたい場所はどんどん増えている。時間がほしい。自分の中にこんな欲があったとは……。とはいえ、さすがにこの齢になると、大幅な人生の軌道修正みたいなことは考えにくい。「この道を選んだよかった」とおもえるよう努力するしかない。