2019/10/08

中央線文化

 ようやく秋らしい季候——とおもったら夕方から雨。ここ数日、からだに痛みもなく、いい睡眠ができている。元気になったので、秋用のシャツや冬用の布団カバーの洗濯、雑誌のスクラップ、パラフィンがけをやる。コタツを出すのはあとひと月ちょっとか。

『橋本治雑文集成 パンセⅤ 友たちよ』(河出書房新社)をひさしぶりに読み返していたら、戸井十月との対談(「欲望を計算に入れない『理性』なんて、もうとっくに死んでいるんだよ……)の中でこんな発言があった。

《戸井 俺の感じだけど、例えば中央線文化っていうのか、中央線から石を投げると作家に当たるというぐらい、学校の先生をやっていて書いてますとか、自称作家なんていう人がいっぱいいるわけよね。それが、なにか違うと俺は思うんだ。「そんな、たいそうなものなの?」って感じがしちゃう。べつに、バカにしてるんではなくてね。(略)》

 戸井十月の発言を受け、橋本治は「ぼくは、近代文学なんてまず読んでないよ。読んでないから、作家が中央線に多いなんていうのも、わりと新しい知識なんでね」と答えている。
 この対談は一九八〇年ごろのものだが、その約四十年後の今でも「石を投げると」という状況は残っている。
 わたしが高円寺に引っ越してきた当時、深夜、近所の飲み屋のカウンターで飲んでいると、しょっちゅう物書や編集者と会った(自分を棚に上げていわせてもらえば、面倒くさい話になることが多い)。こうした「中央線文化」の雰囲気は好き嫌いが分かれる。

 とはいえ「中央線文化」がどういうものか説明がむずかしい。
 中央線文士の時代、七〇年代のフォーク、ヒッピー文化、八〇年代から九〇年代にかけてのインディース、バンドブーム期でもその色調は異なる。あるいは高円寺と荻窪と吉祥寺では町の雰囲気はけっこうちがう。
 共通点があるとすれば何だろう。貧乏くさいところか。みんながみんなそうというわけではないが。