喫茶店と飲み屋と古本屋に行って街道を歩きたい。今はおもう存分それができる日が来るまで倹約して体力を温存する。怠けたり休んだりすることが、こんなに肯定される時代がくるとは……。
しかし気温二十度こえるとマスクもつらい。新型コロナが長期化しそうなら冷却素材のマスクを開発してほしい。
後藤明生著『四十歳のオブローモフ イラストレイテッド版』(つかだま書房)が発売――解説を担当しました。山野辺進の挿画、旺文社文庫版では未収録の「後記」も再録されている。
ロシアの怠け者オブローモフを理想とする団地住まいの中年作家、本間宗介の物語である。主人公は二児の父親で真面目にも不真面目にも振り切れないところがある。活躍らしい活躍もしないし、小さな失敗をくりかえしてばかりいる。悪人ではないが、すくなくとも立派な人物ではない。たいていどうでもいい話だ。若いころの自分が読んでもこの小説のよさはわからなかったかもしれない。
たとえば、二日酔いにたいして主人公はこんな考察をする。
《二日酔いからさめかけの不安というものは、実さい、何ともいえないものだった。ことばを扱うことを商売としている宗介が、「何ともいえない」などというのは、いささかだらしのない話であるが、要するに、何故だかわからないが、世界じゅうの一切のものから自分一人が忘れ去られてしまうのではないか、といった不安なのである》
「誕生日の前後」という章で旧日光街道の綾瀬川沿いを子どもといっしょに散歩する場面がある。昨年わたしもこのあたり膝を痛めながら歩いたことをこの小説を読んでおもいだす。
《人間の理想は、ただただ、ひたすら自由に、足のおもむくまま歩き続けるということかも知れないのだ》
家に一冊くらい『四十歳のオブローモフ』みたいな小説があるのはわるくないとおもう。