2020/04/07

安静と静観

 日曜日の午後、西部古書会館。入口は全開。入館時に検温がある。おでこで「ピッ」となる体温計。三十六度二分。平熱だった。

 不要不急の外出はなるべく控えるようにしているが、西部古書会館だけは別だ。
 それでもしばらく背表紙の文字が頭に入ってこなかった。館内を一周したあたりで、ようやく頭が回りはじめる。もう一周する。

 近所のスーパーの中には入場制限をしている店がある。店の外まで人が並んでいる。混んでいる店を避け、混んでなさそうな店を目指す。品薄の食品の傾向はどこも同じだ。保存食、冷凍食品など。

 すくなくとも高円寺にかんしては町を歩いている人はたくさんいる。いつもと違うのは子ども連れの家族が多いことか。

 これからどうなるのか。

 しばらくは富士正晴の「不参加ぐらし」か古山高麗雄の「“いち抜け”者」でいこうと考えている。自己防衛に目一杯で社会のことまで考える余裕がない。「動」と「静」でいえば、今は「静」に徹したほうがいいと判断した。

 色川武大著『いずれ我が身も』(中公文庫)を読み返す。

《自分と、他人を比較する癖をやめることだ。
 自分は自分、他人は他人。
 それじゃ社会生活はできない、というかもしれないが、そんなもんでもないよ》(えらい人えらくない人)

 世の中が大きく動いて先が見えない時期にいっしょになって自分も動くと消耗が激しいし、ペースが崩れやすい。

 いずれは今も過去になる。「あのころマスク買えなかったなあ」と。

 確定申告はまだしていない。