二十二日から小型郵便局(七都府県)の営業時間が午前十時から午後三時までになっていたのを知らず、朝九時に高円寺の郵便局に行った。一時間後、再び行ったら外に人が並んでいる。局内に数人しか人をいれず、整理券を配って外に並ばせる方式のようだ。雨の日はどうするんだろう。
田中小実昌著『ほのぼの路線バスの旅』(中公文庫)を読みはじめる。「東海道中バス栗毛」と「山陽道中バス栗毛」か。街道文学だな。三重も通るが、鈴鹿(石薬師宿と庄野宿)はスルー。コミさんは四日市から亀山までのバスに乗る。
巨大迷路、あったなあ。一度だけ行った記憶がある。いとこといっしょだったか。
コミさんを乗せたバスは日永の追分、采女のつえつき杖(杖衝坂)を通る。
《京都九十キロ、左鈴鹿市五キロ。だるま寺、左てに川、川ぞいの道になる。めし・おかず・やまもと食堂、安楽橋。田圃と茶畑のむこうにミエライスの看板。やはり国道一号線だ》
二十年かけて鹿児島まで旅をしている。急がないのは大事だ。過去に何かしらの縁のあった土地を再訪する。いろいろ記憶が甦る。中年の旅の醍醐味のひとつといえる。
ツイッターで河田拓也さんも『ほのぼの路線バスの旅』について呟きつつ、中公文庫の「戦中派」路線に反応していた。二十代のころ、河田さんとは戦中派の作家の話を公園とか喫茶店とかでよくしていた。ひまだった。
中公文庫は池波正太郎の『青春忘れもの 増補版』も今月刊行している。池波正太郎も戦中派だ。戦後DDTの撒布作業をしていた時期がある。
《作業は、進駐軍の兵士たちが都内の各区役所へやって来て、われわれ作業員を引きつれ、しらみつぶしに焼けのこりの家々へ、DDTの撒布とワクチンの注射をおこなってゆく。
チフス患者が発生した場所へは再三にわたって消毒をし、これを管理する》
ある日、撒布の仕事で彫刻家の朝倉文夫の家に行く。朝倉氏が池波正太郎や学生に語った言葉がすごくいいんですよ。泰然自若といった雰囲気で若者を励まし、勇気づける。朝倉文夫は釣りの随筆も書いている。
戦中派といえば、詩人の衣更着信が今年生誕百年(一九二〇年二月二十二日香川生まれ)だった。香川県で高校の先生をしていて、晩年は高松に暮らしていたのではないか。
むしょうにジャンボフェリーに乗りたい心境だが、今はガマンだ。