フローレンス・ナイチンゲール(一八二〇年生まれ)は今年の五月生誕二百年。
四年ほど前『日常学事始』(本の雑誌社)で「一に換気、二に日当たり」というナイチンゲールのコラムを書いた。
外出を自粛し、換気をしない部屋で長時間ですごすのは健康によくない。天気のいい日は散歩したほうがいい。
(以下、再掲。てにをは、改行など、すこし直した)
ナイチンゲールの『看護覚え書』の初版は一八五九年に刊行、世界各国に翻訳され、今なお読み継がれている。
日本では一九一三年に岩井禎三訳『看護の栞』が初訳——わたしの家には古本屋で買った二〇〇〇年一月の改訳第六版(現代社)がある。前の持ち主が勉強熱心だったのか、線引と書き込みだらけだった。
ナイチンゲールは三十六歳のときにクリミア戦争から帰還してから、長年闘病生活を続け、九十歳で亡くなるまでほとんどベッドの上で暮らしていた。
つまり彼女は優秀な看護師であると同時に長期にわたる病人でもあった。
ナイチンゲールは、部屋を換気し、湿度を保つことの大切さをくりかえし(しつこいくらいに)説いている。冒頭から換気の話だけで数十頁費やしている。
「空気の管理」――窓を開けることが看護の第一原則なのだ。
窓を閉め切った部屋は「汚れた空気の巣窟」になる。
ひとり暮らしをしていると、日中、家にいなくて、なかなか部屋の換気ができない人も多いかもしれないが、夜も換気しろというのがナイチンゲールの意見である(当時のロンドンは、夜のほうが空気がきれいだったという理由もある)。
次に日当たり。病人は新鮮な空気の次に陽光を求める。閉め切った暗い部屋はカビがはえやすく、細菌の温床になる。一日の大半をベッドですごす病人の部屋は日当たりをよくする必要がある。
それから、からだを冷やさないよう室温を保つ。明け方の気温(室温)がいちばん低いときに気をつける(湯たんぽがおすすめらしい)。そして内蔵を温める食事や入浴や快適な運動も大切だという。
静かな環境で休息し、そのときどきの体調に合ったバランスのよい食事をとることも快適な生活には欠かせない。
ちなみに、一九世紀のイギリスでは、病人食は牛肉のスープがポピュラーだった。
いっぽう食欲がないときや疲れているときに、無理に何か食べるより、あたたかい紅茶やコーヒーを一杯飲むほうが調子がよくなることもあるという話は、なるほどとおもった。
療養の基本は「空気と陽光と栄養と安静」であり、看護の目的は「生命力の消耗を最小にする」こと。もちろん、それが大切なのは病人だけとは限らない。
また「清潔の保持」も重視している。
ナイチンゲールは掃除の仕方にもうるさい。
ドアや窓を閉めて掃除をしてはいけない。掃除の目的はほこりの除去である。そのためには濡れ雑巾で拭いて乾拭きする(ハタキをかけるのは、ほこりを舞いあげるだけで部屋の清潔にはつながらない)。
彼女にいわせると絨毯は人間が発明したモノの中で「最も始末の悪い代物」とのこと。このあたりは室内で靴を脱がない文化が関係あるかも。
人生の大半を病床ですごしたナイチンゲールは看護師の立振舞いにも厳しい。
「(病室の)ドアを乱暴に開け閉めしないこと」「病人を急かさないこと」「病人の思考を中断させないこと」
ようするに配慮のない看護師は患者を消耗させる。ガサツすぎても神経質すぎてもいけない。
それから見舞客の病人にたいする「おせっかいな忠告」を厳しく批判している。
病気で寝ているときにあれこれ説教されるのはたまったものではない。相手の症状を知らないのに「ああしろ、こうしろ」と助言するのはもってのほか。「自己管理がなっていない」「精神がたるんでいる」みたいなことをいう人がいるが、そうした意見は病人の生命力を消耗させる効果しかない。
病人は見舞客といっしょに泣き言をいったり、落ち込んだりしたいわけではない。なるべく楽しい話題を心がけ、見舞に行ったときはマイナスの話題はしないほうがいい。
ナイチンゲールは小説の不衛生なシーンなどにも文句をいっている。けっこう面倒くさい人かもしれない。